き出さうとするのは、困難であつたらう。其為「長物語」以前と以後のあまたの要素を顧みず、一向、野人の信仰の淫雑なことを嗟《なげ》いたが、寒川氏の想像したよりも、かなり古く、而も若い物語なのだ。
不遇の生を終へた愛護は、怨み言を書き残すだけの執念もありながら、現に転生した。本地物語の出現は、御霊信仰の稍《やや》力を失ひはじめた頃からの事である。貴種流離民譚が、児个淵民譚と結びつき、其に、山王祭りのくさ/″\の由緒をとり込んで、一つの民譚に固成したのは、継子虐待物語・児物語・本地物語の地盤が定つて、何拾人・何百人の追ひ腹を家門の誉れと考へた時代のことであらう。
百八人の殉死が、あいご[#「あいご」に傍線]民譚の固定の時代だけは、尠くとも「長物語」よりも新しいことを示してゐるのである。一人の美少を中心にして、近間《チカマ》に肩を並べた、二つの大寺の間に、闘諍事件が起つて、何百人の侍法師《サムラヒボフシ》の屍を晒した物語は、外にも、其例がある。長物語の梅若は、多人数の犠牲を拵へたのであるが、若の方では、百八人の殉死と言ふ特殊の意味を持つた犠牲と言ふことに変つて来てゐる。此は必、山門・寺門の長い争
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