あらう。田原栗の話が愛護民譚に関係の深いことは、貴人さすらひ[#「貴人さすらひ」に傍線]以外に、うけひ[#「うけひ」に傍線]の一条を、若の方では松のうけひ[#「松のうけひ」に傍線]・桃麻の呪ひ[#「桃麻の呪ひ」に傍線]の両方に分けてゐると言ふ点だけでなく、全体此話の主要人物なる左衛門・田畑之助の姓の荒木・大道寺と言ふのが、偶然に出来た名前とは思はれぬ事である。天武に栗を献つた人が、田畑之助と言ふ名であつたと仮定しても、大道寺は依然決着せぬ。
此処に伊勢新九郎長氏の種姓《スジヤウ》調べが、一道の光明を与へる。長氏の本貫は、大和とも宇治とも言ふ。其祖盛継は「天性細工に妙を得。其頃大坪道禅弟子として、鞍鐙の妙工を相伝す。伊勢守の家、是より此細工を専らとす」るやうになつたのであるが、長氏浪人の後、東国下向に伴うた腹心の者に、山中・多田・荒川・佐竹及び荒木兵庫頭・大道寺太郎の六浪士が(北条五代記)ある。而も荒木・大道寺共に、田原郷の地名である。
天武流離譚が、田原から江州へ推し出した事は想像出来る上に、此地名から見ても、宇治の田原を本貫に持つたとも考へられる後北条氏が、馬具細工の家筋であつたと言
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