、辛崎の松で、愛護が危難を救はれる件などが、原型を引いてゐる様である。
「愛護曾我」は、前者よりは、恐らく古いものらしい。名の示す如く、愛護桜から由縁江戸桜の方に踏み込んだものと思はれる。享保廿年正月に、同時に三種の愛護の物語が出て居るが、金平本の愛護は、恐らくもつと以前の刊行を、早稲田図書館の書目作りが思ひ違へたのではあるまいか。一代記の方は、全く八文字舎本の飜刻で、年号は享保廿年正月とはなつて居るが、恐らくずつと遅れたものであらう。
「女筆始」は「鳴雷不動桜」などを出した、八文字舎のことだから、愛護の脚本・小説類の綜合・飜案の痕を露に見せてゐる。其序に
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衆人愛護若の噂、昔から世挙つて引三味線の調子に乗つて来る馬に唐鞍箱に納る刃の大刀に血ぬらずして、悪人追退伝る家の内柱は、ずつしり据《スワ》つて動かぬ一つ松。志賀のよい花園昔を今に語り伝へて五説経の其一を取つて、新に狂言を五冊に綴め云々。
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と見えて居るが、説経節以後の形式をも混へた上の作り物である。而も江戸の助六の影響のあるなしは、俄に判断し難い。但、田畑之助が、大道寺の姓を持つてゐるのは、或は愛護桜に、暗示を得てゐるのかも知れない。
此書は後の愛護民譚に変化を与へる榜示となつてゐる様であるから、少しく詳しく説いて見る。二条家の宝物は、刃の大刀・降天の唐鞍の外に、真の鞭といふのがある。后の御悩が、嵯峨帝の御不例といふ事になつてゐる。継母は桜井御前といふ名で、藤原仲成の妹、二条家には再縁で、流離の際に人に托した小松姫といふ子がある。家来には、家老として荒木左衛門尉、執権職を罷めて、江州穴生に居る大道寺田畑之助及び其妻のふぢ[#「ふぢ」に傍線]、二人の間に生れた長子手白の猿、継母の腹心|太岳《ミタケ》悪五郎、旧臣の遺孤おふで[#「おふで」に傍線]などの人物がある。おふで[#「おふで」に傍線]が、お家の危急を知つて自ら小松姫と名のつて、二条家に入り込んで、愛護を助け、二つの宝を悪人の手に渡さなかつた、といふ話は、遠からずして表れた「ひらがな盛衰記」の烈婦おふで[#「おふで」に傍線]の導火である。
田畑之助は若君に、お家の危急を知らせる為に、女房をして、長子の手白を舞はせるが、名歌勝鬨第一段松枝・常夜の猿使ひの段の敷き写しである。又、柴屋町の揚げ屋で、荒木左衛門と巡り会うて争ふのは、或は「愛護桜」の影響ではあるまいか。遊女花園が秘蔵する真の鞭は、おもふに、四の宮の祭りに、一の鳥居に建てる「真の榊」の変形であらう。愛護が家を逃れる場合に、縄を喰ひ切りに出る鼬は、説経の母の霊を持つて来たのである。穴生の乳母は熊手婆で、盲目娘の実は、小松姫と共に住んでゐる。愛護が其家の桃を喰うて、麻畑に隠れる件も其儘である。
愛護が辛崎の浜でついて来た松の枝を挿す件は、説経を乗り越えて、直ちに、日吉の縁起に迫つてゐる。其時の「うけひ言」には
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松も一本、葉も一つ、都の方へ根もさゝず、志賀辛崎の一つ松、愛護がしるしとなし給へ。
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とある。そして、其松の木に小袖を掛けて、湖水に身を投げる。細工[#(ノ)]小次郎に当るものは、此には、関寺半内となつてゐる。愛護を追うて、身投げするのは、説経の百八人の代表である。
「神※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]伝」は、非常に読本臭くなる。桜井御前が愛護に懸想する事は、説経の儘である。手白と愛護との接触が、鷲にさらはれる猿を救うたときから始まつて、猿の親子揃うて人間に化けて、若に恩返しをする。「女筆始」の田畑之助の役は、仲麻呂・桜井御前の子を守る秦[#(ノ)]黒道と言ふのになつて居る。鞍・大刀は、綾丸の大刀・遠山の鏡と名が変つて、烈婦小松が志賀六(黒道)を殺して、奪ひとつて、二条家に献じた宝と言ふ事になつてゐる。
右の中「名歌勝鬨」は、かなり名高い浄瑠璃で、役[#(ノ)]行者・弘法大師の母並びに、苅萱を採り入れた「山の段」だけは、いまでも稀には、語られる。瑠璃天狗にも道行きと此段とが、註釈せられてゐるのを見ても、愚作の割には、喜ばれてゐたのである。芝居の鬘にあいご[#「あいご」に傍線]と言ふのがあるのは、此辺から出たものと思はれるが「※[#「子+盡」、314−14]愛護曾我」の評判記の挿し画の愛護は、所謂あいご[#「あいご」に傍線]の児輪《チゴワ》(歌舞妓事始)に結うてゐるが、説経正本・一代記・神※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]伝、皆児茶筅である。
近江輿地誌略の出来た時分の愛護民譚は、説経以前の古い形式をも存してゐたと共に、其後に作意・脚色を加へられた物語をも、雑多にとり込んでゐたに違ひなく、其だけ錯綜を極めた物語から、一筋の通りのよい物語を抽
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