はなくて、わ[#「わ」に傍線]・く[#「く」に傍線]とゆ[#「ゆ」に傍線]とが、直接にひつついたものらしい。
[#ここで字下げ終わり]
さて、わか・ゆに対して、お・ゆがある如く、わか・しに対しては、何があるかといふと、語は、必しも、対照的に発達するものでないから、わか・しに対して、お・ゆの形容詞がなければならぬ、といふ筈はないが、これも、考へる事は、さのみ、難くはない。即、おほし、おほきしの意のお・しがこれである。
論理的観念の乏しかつた古人は、すく―な・いとか、みじ―か・いとか、わか・いとか、ちひ―さ・いとかいふ、すべて、少といふ概念に包括せられる語を、一括して、おほ・しといふ語にむかへて居る。
お・しがを・しにむかへられて居る事は、お[#「お」に傍線]とを[#「を」に傍線]とで、大小をあらはした例に徴しても、明かである。
同時に、お・しが、わか・しに対するのも、不思議でない。
人は、或は、お・しといふ様な形容詞はない、といふかもしれぬ。けれども、記紀を見れば、おし―ころ―わけ(忍許呂別)、おし―くま―わう(忍熊王)、おし―は―の―みこ(押歯皇子)などゝいふ語が多く見えて居る。
この
前へ
次へ
全12ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング