とい[#「まとい」に傍線]を用ゐる事を許したのが、此迄武士の手を離れなかつた此軍器が駈付け人足の手に移つた始めである。
火消役のまとい[#「まとい」に傍線]には、家々の定紋を押してゐたが、町人の手に移つてからは、組々の印を明らかに見せる為、かの多面体の張り籠が工夫せられたので、六十四本の中、竿頭にだし[#「だし」に傍線]としてつけた物には籠を想化し、又は籠其物を使うた物が多い。敢へて「籠目のまとい[#「まとい」に傍線]はこはすとも」と豆辰《マメタツ》の女房が、夫を励ました十番め組のものには限らないのであつた。
恐らく小まとい[#「小まとい」に傍線]なる物が、ある武士の国に作り出されて、大将自身に振つて居たのが、出来るだけ全軍の目につく様にといふ目的から、次第に大きなまとい[#「まとい」に傍線]に工夫しなほされ、やがては大将在処の標ともなつたものであらう。
白石はかの「甲陽軍鑑」の記事から、其北条氏起原説を採つてゐる(白石紳書)。併し今一歩を、何故甲州方の観察にふみ入れて見なかつたのであらう。其形は、考へ知る事はおぼつかないが、古くはまとい[#「まとい」に傍線]が甲州方の標識になつて居たと思はれる根拠(関八州古戦録・甲陽軍鑑・仙道記・平塞録)がある。的居などに交渉のない、存外な物の名を言ふ、甲州の古い方言が、此軍器と共に、山の峡から平野の国々に、おし出して来たものと言ふ想像が出来ぬでもない。
底本:「折口信夫全集 2」中央公論社
1995(平成7)年3月10日初版発行
底本の親本:「古代研究 民俗学篇第一」大岡山書店
1929(昭和4)年4月10日発行
初出:「土俗と伝説 第一巻第三号」
1918(大正7)年10月
※底本の題名の下に書かれている「大正七年十月「土俗と伝説」第一巻第三号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2007年4月28日作成
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