り毎に必出した物であつたが、日清役以後段々出なくなつて、最後に木津(南区木津)の分が、明治三十七八年戦争の終へた年に出たぎり、今では悉皆泯びて了うて居る。
此処には木津のだいがく[#「だいがく」に傍線]の事を書いておく。だいがく[#「だいがく」に傍線]の出来初めは、知れて居ない。唯老人たちは、台の上に額を載せて舁ぎ廻つたのが、原始的のもので、名称も其に基いて居るといふ。けれども今も豊能郡|熊野田《クマンダ》村の祭礼に舁ぐがく[#「がく」に傍線](額)と言ふ立て物と比べて見ると、或は大額の義かと思はれぬでもない。其後進歩して、台の上に経《タテ》棒を竪て、一人持《ヒトリモチ》提灯一つ、ひげこ[#「ひげこ」に傍線](第一図)額などを備へた形になつて来たのだと言ふが、恐らく、経棒は最初からあつた物で、額だけがぽつつり[#「ぽつつり」に傍点]乗つて居たのではなからう。
別図の[#図省略]様な態を備へる事になつたのは、今から六十年程の前の事で、其以前は天幕《テンマク》の代りにひげこ[#「ひげこ」に傍線]が使はれて居たのである。ひげこ[#「ひげこ」に傍線]は、必、二重ときまつて居たさうである。明治三
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