りんす」に傍線]は、即、其形見と考へられるのである。而も、此言葉は、新吉原になつて後も、長く廓《サト》言葉として、保存されることになつたのであつた。
一七 八文字は女六法
それはとにかく、彼等が男のかぶき[#「かぶき」に傍線]・六法の、直接の影響を受けたと見られるものは、道中に見せた八文字である。八文字は明らかに女の六法であつた。
此が嵩じては、かの一中に謡はれた、勝山に迄なるので、一中節では、彼女が道中の途次、湯巻を落したが、其まゝ道中を続けたと言うて、大いに此を讃美してゐる。我々から考へれば、どこに其ほど讃美する価値があるのか、と思ふのであるが、要するに、当時としては、其が女六法にかなつてゐた。そして其が、性欲的でもあつたのだ。
いき[#「いき」に傍線]・はり[#「はり」に傍線]など言うても、もはや今日では、訣らぬものになつて了うたやうだが、所詮、女性と男性との意志の一緒になつたものである。
かうした気風は、吉原だけに見られたのではない。京の島原・大阪の新町、此等の廓《サト》にもあつたのだ。此様にかゝる方面にまで、ごろつき[#「ごろつき」に傍線]・あばれもの[#「あば
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