た扮装をして、祭礼などに練つて歩いた。此が多少の変化を来して、動作が主になつたものが、六法であり、それの分派がかぶき[#「かぶき」に傍線]であり、それから「奴」が出来、徳川中期には「寛濶」などゝ言ふものも出来たのだが、もと/\此等の芸は、風流系統のものである。だから此等の芸は、後々までも、歩く芸――練つて歩く芸、謂はゞ祭礼のくづれ[#「くづれ」に傍線]――として残つたのであつた。
芝居の六法は、かう考へて見るとき、あの特別な歩き振りにも、一つの意味が発見されようと思ふ。

     一五 幸若の影響

歌舞妓芝居では、元禄以後になつてからでも、平気で舞台を歩く芸があつた。若衆の出て来る芝居などにも、舞台を散歩してゐる様なものがあつた。奴をつれて「いゝ花ぢやなあ」といつた調子で、舞台を散歩してゐるのである。尤、此には、顔を見せるといふ事があつた。此も見逃せない事の一つであるが、歌舞妓を散歩芸として眺めるのには、尚、他にも考ふべき事があるので、譬へば、道行きには「舞ひ」の手ぶりがある。即、幸若が割り込んで来たからである。
元来、幸若の舞ひぶりなるものは、地固めの舞ひ(即、反閇《ヘンバイ》)
前へ 次へ
全31ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング