》[#「高天[#(个)]原」は罫囲み]と言ひ、海のあなたと考へる村人は、常世《トコヨ》の国[#「常世の国」は罫囲み]と名づけて居た。
高天[#(个)]原は、曾て宮廷の祖神にゝぎの―みこと[#「にゝぎの―みこと」は罫囲み]が、其処を離れて此土に移つたものとして、唯一度ぎり、神降臨の行はれた天上の聖地と考へられてゐる。ところが其は、信仰上の事実と、其の固定した部分との間に生じた、矛盾のある歴史化した合理的解釈であつたのである。
五伴緒《イツトモノヲ》と称した宮廷祭祀の、専属職業団体の高天[#(个)]原以来の本縁を語ると共に、宮廷の祖神も此時に降られ、天地の交通は大体疎隔せられた様に説いてゐる。併しながら、固定せないでゐる部分は、後代までも天子一代毎に代つて降臨せられるものと信じてゐた。是れが日のみ子[#「日のみ子」は罫囲み]なる語のある訣である。而も合理化した歴史と歩調をあはせる処から、日のみ子[#「日のみ子」に傍線]とすめみまの―みこと[#「すめみまの―みこと」は罫囲み]が、一つ文章に出て来ても顧みないで居る。一つは、奈良時代に入つてから、歴史上の事情は信ずべきものであるとすると共に、信念として、歴代天子降臨・昇天の事実があると二つに分けて考へるだけの、理知の世の中になつてゐたのだとも言はれよう。
記・紀・万葉のみに拠るならば、日のみ子[#「日のみ子」に傍線]の現《ア》れ継《ツ》ぎは、歴史から生れた尊崇の絶対表現だと言はれよう。祝詞を透《スカ》して見た古代信仰では、前者が後の合理観で、後者が正しいものと言はねばならぬ事になる。(詳しくは「あきつ神」の論の部に譲りたい。)
かうして、にゝぎの―みこと[#「にゝぎの―みこと」に傍線]の天降《アモ》りを唯一度あつた史実とした為に、高天[#(个)]原は、代々の実際生活とは交渉のない史上の聖地となつて行つた。村々の中、大空を神の居る処としたものは多かつたに違いないが、此地を示す標準語固定の後は、我々に残された書類では、「常世の国」が、邑落生活の運命を左右する神の住み処《か》と見られて行く傾きになつたものであらう。
藤原京に於いて既に、一部の人が「常世」に仙山の内容を持たしかけてゐる。此は帰化民の将来して、具体化しはじめた道教の影響である。而も純《ウブ》な形は、年月を経ても残つてゐた。大伴《オホトモ》[#(ノ)]坂上《サカノヘ》[#(ノ)]郎女《イラツメ》の別れを惜しむ娘を諭して「常夜にもわが行かなくに」と言うてゐるのは、後世の用語例をも持ちながら、原義を忘れて居ない様である。宣長は三つの解釈の中、冥土・黄泉など言ふ意に見て、常闇の国と言ふ意味に入れて説いてゐる。此などは、海のあなたの国といふ意にも説けるから、字面の常夜にのみ信頼しては居られない。だが、「常世行く」と言ふ――恐らく意義は無反省に、語部の口にくり返されて居たと思はれる――成語は、確かに常闇《トコヤミ》の夜の状態が続くと言ふ事に疑ひがない。此「常夜」は、ある国土の名と考へられて居なかつたやうであるが、此語の語原だけは訣るのである。さうすると、常世の国は古くは理想の国土とばかりも言はれなかつた事になり相である。
とこ[#「とこ」は罫囲み]は絶対の意の語根で、空間にも時間にも、「どこ/″\までも」の義を持つてゐる。常夜は常なる闇より、絶対の闇なのである。
我が祖先の主な部分と、極めて深い関係を持ち、さうしてその古代の習俗を今に止《とど》めてゐる歌の多い沖縄県の島々では、天国をおぼつかぐら[#「おぼつかぐら」は太字、罫囲み]と言ふ。海のあなたの楽土をにらいかない(又、ぎらいかない[#「ぎらいかない」に傍線]・じらいかない[#「じらいかない」に傍線]など)又まやのくに[#「まやのくに」は太字、罫囲み]と呼ぶ。こゝでも、おぼつかぐら[#「おぼつかぐら」に傍線]は民間生活には交渉がなくなつて居るが、にらいかない[#「にらいかない」に傍線]はまだ多く使うてゐる。而も其|儀来河内《ギライカナイ》は、また禍の国でもある様子は見える。蚤は、時を定めてにらいかない[#「にらいかない」に傍線]から麦稈の船に麦稈の棹さして此地に来るといふ。おなじ語の方言なるにいる[#「にいる」に傍線](又、にいる底《スク》)を使うてゐる先島の八重山の石垣及びその離島々では、語原を「那落」に聯想して説明してゐる程、恐るべき処と考へてゐる。洞窟の中から通ふ底の世界と信じてゐる。其洞から、「にいるびと」と言ふ鬼の様な二体の巨人が出て来て、成年式を行ふ事になつてゐる。神として恐れ敬うて、命ぜられる儘に苦行をする。而も、村人の群集してゐる前に現れて、自身舞踊をもし、新しい若衆たちにもさせる。又、他の村では、「まやの神」が、農業の始めに村に渡つて来て、家々を訪れて、今年の農業の事そ
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