の場合が多くなると、臨時に来臨を仰ぐ風を生じた。我が国の文献で溯れる限りの昔は、既に此信仰状態に入つて後の世である。其第一の場合は、建築の成つた時である。第二は、私の想像では、家の重な人の生命を安固ならせることを欲する時である。其外、年の始めに神の親しく予約した詞の威力の薄らぐのを虞れて、さし当つた個々の場合に、神の来臨を請うた事が多い様である。
尠くとも奈良朝以前に、其由来の忘られてゐたのは、新室[#「新室」は罫囲み]の祝ひの細目である。大体「新室」の祝ひであるべき事を、毎年宮廷では繰り返して、大殿祭《オホトノホガヒ》[#「大殿祭」は罫囲み]と称へてゐた。其唱へる所の呪言も、新室ほがひ[#「新室ほがひ」に傍線]と言ふ方が適切な表現を持つてゐる。大殿祭の儀式には、問題は多いが、此時夜に入つて、神の群行を学んで、宮廷の常用門とも見るべき西方の門扉をおとづれるのである。此神の一行と見るべきものが、宮廷の主人なる天子常用の殿舎だけを呪うて廻る。此式が、神今食・新嘗祭の前夜に行ふ事になつてゐるのは、古代は刈りあげ祭りの時に一度行うた事を示してゐる。即後世神の職掌分化して御歳《ミトシ》神と命けた「田の神」を祭る式の附属の様に見えるが、やはり此精霊を祀るのでなく、常世神を迎へたのであらう。なぜならば、大殿祭は、刈り上げ祭りの上に、新室ほがひ[#「新室ほがひ」は罫囲み]と家あるじの寿命に対する「よごと」を結びつけてゐるのである。単に田の神にする奉賽の新嘗の式と接近して行ひながら、別々に行うてゐるのは、新嘗の主賓たる常世神が感謝を享けると同時に、饗応の礼心に生命・住宅の安固を約して行くと考へた為であらう。生命・建築は、常世神の呪言の力を最深く信頼してゐるものなのである。大殿祭の式は要するに、新嘗の式の附属例に過ぎない。新嘗を享ける神が、最初の信仰からして、「田の神」でなかつた事を見せてゐるだけである。
「大殿祭」類似の毎年家を中心として、祝言を述べる行事は、宮廷だけではなかつたであらう。併し、「新室ほがひ」の変形で、常世の「まれびと」に事の序《ついで》に委託するのだといふ事はおなじである。宮廷の呪詞・寿詞の中、とりわけ神秘に属するものは発表しなかつたらうと言ふ事は、本編に述べるが、「新室ほがひ」の呪言及び、其に関係深い家々の氏[#(ノ)]上たる人々の生命呪《ヨゴト》は、唯二つしか伝つてゐない。だが、「新室ほがひ」の式は、必家あるじの外に主賓として臨む其家にとつては、尊敬すべき家の人が迎へられる。さうして其人が、「新室」を祝福する呪言を唱へ家の中を踏む。其外に舞ひ人としての家の処女又は婦人が、装ひを凝して舞ひ鎮める。其後、主賓は、其舞ひ人と「一夜づま」となる。かうした要点だけは、推察が出来る。なぜ、処女を主賓に侍らせるか、其は前期王朝の盛んな頃にも、既に、理会せられなかつた事であらう。
平安朝末から武家時代の中期にかけて、陰陽家の大事の為事の一つは、反閇《ヘンバイ》であつた。貴人外出の際に行ふ一種の舞踏様の作法で、其をする事を「ふむ」と言ふ。律の緩やかな脚を主とした一種の短い踊りである。支那の民間伝承と似ない点の少い我が風俗の中で、此などは殆ど類例のないものである。唯一外来説の根拠になつた范跋を起源とする説などは、到底要領を得ないものである。書物以外に似た俗はあるだらうと思ふが、此は在来の民間伝承を安倍・賀茂両家で採用したものと思ふ。外出の際に踏むに限つて居ないで、外出先でも踏む。家に還つても踏む。一種の悪魔祓ひの様に考へられて来たのである。此風は予め、悪霊の身につく事を避ける力あるものと言ふ考へを基礎として居る様だが、外出の為でなく、居つく[#「居つく」に傍点]為の呪術である。「ふむ」行事を行うた処には、悪霊が居なくなると言ふ考へから出たもので、外出先で行うた僅かな例の方が、寧古風なのである。其が固定して、外出に踏むと言ふ考へから、途中から邪気を持ち返る事を防ぐ効験あるものと考へる様になつた次第である。
神の脚によつて踏みとゞろかされた地には、悪精霊が居る事が出来ない上に、新に来る事もしない。其で新室に住む始めに、神に踏み固めて貰ふのであつた。「新室を踏静児《フミシズムコ》」など言ふのは、舞ひ人の処女の舞踏にも威力を認める様になつたからであらう。足踏みの舞踏を行ふ事は、ある地を占める為である。目に見えぬ先住者を退散させる事である。今も土御門流の唱門師の末などで、反閇を踏んで、家の悪霊退散の呪ひをする者がある。反閇は一種の「大殿祭」の様なもので、「新室ほがひ」の遺風であらう。
新室の住みはじめに、なぜ貴人を招待するか。此古い形は、村々の君として、神の力を持つた人を招いた事があつたからである。文献は語らぬが、其前に若衆の中の一人が、仮装神として臨
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