つてゐない。だが、「新室ほがひ」の式は、必家あるじの外に主賓として臨む其家にとつては、尊敬すべき家の人が迎へられる。さうして其人が、「新室」を祝福する呪言を唱へ家の中を踏む。其外に舞ひ人としての家の処女又は婦人が、装ひを凝して舞ひ鎮める。其後、主賓は、其舞ひ人と「一夜づま」となる。かうした要点だけは、推察が出来る。なぜ、処女を主賓に侍らせるか、其は前期王朝の盛んな頃にも、既に、理会せられなかつた事であらう。
平安朝末から武家時代の中期にかけて、陰陽家の大事の為事の一つは、反閇《ヘンバイ》であつた。貴人外出の際に行ふ一種の舞踏様の作法で、其をする事を「ふむ」と言ふ。律の緩やかな脚を主とした一種の短い踊りである。支那の民間伝承と似ない点の少い我が風俗の中で、此などは殆ど類例のないものである。唯一外来説の根拠になつた范跋を起源とする説などは、到底要領を得ないものである。書物以外に似た俗はあるだらうと思ふが、此は在来の民間伝承を安倍・賀茂両家で採用したものと思ふ。外出の際に踏むに限つて居ないで、外出先でも踏む。家に還つても踏む。一種の悪魔祓ひの様に考へられて来たのである。此風は予め、悪霊の身につく事を避ける力あるものと言ふ考へを基礎として居る様だが、外出の為でなく、居つく[#「居つく」に傍点]為の呪術である。「ふむ」行事を行うた処には、悪霊が居なくなると言ふ考へから出たもので、外出先で行うた僅かな例の方が、寧古風なのである。其が固定して、外出に踏むと言ふ考へから、途中から邪気を持ち返る事を防ぐ効験あるものと考へる様になつた次第である。
神の脚によつて踏みとゞろかされた地には、悪精霊が居る事が出来ない上に、新に来る事もしない。其で新室に住む始めに、神に踏み固めて貰ふのであつた。「新室を踏静児《フミシズムコ》」など言ふのは、舞ひ人の処女の舞踏にも威力を認める様になつたからであらう。足踏みの舞踏を行ふ事は、ある地を占める為である。目に見えぬ先住者を退散させる事である。今も土御門流の唱門師の末などで、反閇を踏んで、家の悪霊退散の呪ひをする者がある。反閇は一種の「大殿祭」の様なもので、「新室ほがひ」の遺風であらう。
新室の住みはじめに、なぜ貴人を招待するか。此古い形は、村々の君として、神の力を持つた人を招いた事があつたからである。文献は語らぬが、其前に若衆の中の一人が、仮装神として臨
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