さう言ふ「さ」と謂つた語が挿入せられたものかとも思はれる。――さう言ふ風の、新鮮な感受力から来たものを示してゐられる。私の早合点でなければ、日本語族に古代から屡現れて力を逞しくしてゐる、感動語の類に列ねてよいものが、かう言ふ風に屡、語中・語間に姿を表すことがあるのでないか、と考へてゐられたのではないか――、と想像を許して貰つてゐる。
此考へ方は、極めて新しい美しい組織を予想させるもので、当時、我々は事実、日本語解釈の上で、大きな救ひが啓示せられたやうに考へたものである。つまり古代言語を列ねた律文類の中に、意義と関係なく――寧囃し詞のやうに出て来る事実である。
文法的には意義がなくて、気分的には、其必要があつたらしい。たとへば私見に類する例をとつて言ふことを許して頂けば、「さゝ波や滋賀……」「はしきよし我が思ふ子ら……」などの用語例、「さゝ波よ。その滋賀」「はしきかな。その妹」と言ふ風に、古代と中世とでは、言語関係が違つて解せられてゐるらしい――さう言ふ類に属すると見て居られる様に、私どもは解釈した。
つまり、「ある……それに[#「それに」に傍線]よつて」「する……それに[#「それに」に
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