かい[#「すかい」に傍線]・すけ[#「すけ」に傍線]・しかい[#「しかい」に傍線]・しけ[#「しけ」に傍線]・しき[#「しき」に傍線]の分布を見る地方に、さかい[#「さかい」に傍線]・さけ[#「さけ」に傍線]・さけえ[#「さけえ」に傍線]・さかいで[#「さかいで」に傍線]が現れて来ても、その後又、上方から新しく流れこんで来たものとは、必しも限らぬのである。此とおなじことが、もつと有力に、さかい[#「さかい」に傍線]の出自なる上方にも起つて居たことは、考へておいてよい。
方言は、先に言うたやうに、あるものは、消滅しきらずに、ある期間甚しく衰弱してゐる。さうして何かの動機で、大きに盛り返して来る。方言に限らず、言語全体の上にある例なのである。長い様式を持つて出て来るのが、歌謡である。
さかい[#「さかい」に傍線]の歴史の古さが思はせることは、この方言の唯今分布残存するすべてが、すかい[#「すかい」に傍線]流布後はじめて=さかい[#「さかい」に傍線]が=現れたものとは言ひきらせないものゝあることである。
少々材料不足を感じるが、かう言ふ理由はある。
 盛り返す言語生命[#「盛り返す言語生命」は太字]
上方のさかい[#「さかい」に傍線]は、江戸中期に勢ひを盛り返したもので、その以前に、稍古く既に一度栄えた時代のあつたことが言はれさうなのである。之と似たことで、地方によつては、すかい[#「すかい」に傍線]の全盛時代に、その地方としては、始めて、さかい[#「さかい」に傍線]の現れた所もあつたらしい。さうして其が、上方からの新輸入らしかつたことを思はせてゐる――。その力強さは、唯方言の気まぐれ性《シヤウ》や、行き当りばつたり性から、頭を擡げたりする性質だけによるのではない。
一番さう言ふことの注意を惹く理由は、対話敬語としての「すかい」「さかい」の「す」「さ」が、敬語の地馴しらしい優柔性を感じさせるばかりで、方言文法の上では、何処にもはつきり、痕を残さずじまひになつたらしい点である。
「す」と「けに」の接合した九州方言の形と、形式上では、其から成熟した――遅い発達のやうに見える、さかい[#「さかい」に傍線]との間にはまるやうな、「すかい」の示してゐるやうに、――敬語なり、対話敬語なり、上品語なり、自卑形なりを、気分豊かに示す此系統の方言がありさうなものである。あるべくしてないと言
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