傍線]・思はつす[#「思はつす」に傍線]と促音化したものは、江戸では職人・町人の敬語となつて残つたが、此は元来の遊廓語ときめることは出来ぬ。存外高い階級に行はれた「御殿語」といふやうなものゝ、市中に流れ出て、身分のある者から、低い人々へ逓下したものらしく思はれる。地方慰楽語と命けてよいものであらう。いきんす[#「いきんす」に傍線]・しんす[#「しんす」に傍線](又、……iisu)の類は、吉原の一部や、岡場所語としては、「いきいす」又は「いきんす」「おつせいす」(仰)を普通としてゐ、特に insu(「いきんす」「ありんす」)の場合、遊里情趣が表現せられるものと考へたらしい。
いんす・あんす、ざます[#「ざます」に傍線]は「ござります」が故意の又は放恣な発音によつて、音韻没入を来したもので、「ござります」の与へる真摯な感覚を避けてゐるやうに見える。ご[#「ご」に傍線]をまづ脱し、次いで、「り」を不正確に発音して、遂に之を滅却させたものであつた。最近別の事情で、同じ語の同じ変化が見られるやうになつたのである。中流以上の夫人階級の女性が階級感の発露を感じるらしくて、そこに偶然此音韻現象の復活を見た。所謂「ざあます」語である。「ござあます」から転じたのである。此方はあくせんと[#「あくせんと」に傍線]を「ざ」において、強調する所から起つたものらしい。
この類の遊廓語の中、敬語・丁寧語の一部をあげたのだが、固有名詞その他の単語の上にも、又種々の異風が行はれてゐた。だが今は其に触れない。
こゝに問題となるのは、「行かんす」と「行きんす」とで、殊に「さかい」の場合には、後者が多くの暗示を見せてゐる。「行かんす」の類の「す」は、先に述べた古くからの敬語々尾に似たもので、或は時代的の傾向としては、「行かァす」「思はァす」の如き特殊な音韻が加つて来てゐるものと見るべきであらうか。行かんす古形説を一往避けたが、たとへば、「行かさす」(敬)、「思はさす」(敬)が拗撥音表情を加へて「行かしやんす」「思はしやんす」と発音する様になつた所に、活用長期残存とも言ふべき、語法の時代色が伺はれる様である。
唯これは何処までも、敬語として所謂将然形系統の特殊相を、後世になつても、保持したものと言ふことが出来る。
今は別に、「行かんす」「思はんす」と殆同一の構造に見えるやうに出来て居乍ら、意義の違ふいきんす
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