せしめ得べきにあらず。その人善心なくんば、いかに多く物事を知り理窟を明らめたりとて何の益あらん。されば上智の人は特別として、凡人には、景色でも眺めて彼処《かしこ》が気に入れり、此処《ここ》が面白いという処より案じ入りて、人に言い得ず、みずからも解し果たさざるあいだに、何となく至道をぼんやりと感じ得(真如)、しばらくなりとも半日一日なりとも邪念を払い得、すでに善を思わず、いずくんぞ悪を思わんやの域にあらしめんこと、学校教育などの及ぶべからざる大教育ならん。かかる境涯に毎々到り得なば、その人三十一字を綴り得ずとも、その趣きは歌人なり。日夜悪念去らず、妄執に繋縛《けいばく》さるる者の企て及ぶべからざる、いわゆる不言《いわず》して名教中の楽土に安心し得る者なり。無用のことのようで、風景ほど実に人世に有用なるものは少なしと知るべし。ただし、小生はかかることを思う存分書き表わし得ず、その辺は察せられんことを望む。
 またわが国の神林には、その地固有の天然林を千年数百年来残存せるもの多し。これに加うるに、その地に珍しき諸植物は毎度毎度神に献ずるとて植え加えられたれば、珍草木を存すること多く、偉大の老
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