と呼ばれし紀伊の国に樹木著しく少なくなりゆき、濫伐のあまり、大水風害年々聞いて常事となすに至り、人民多くは淳樸の風を失い、少数人の懐が肥ゆるほど村落は日に凋落し行くこそ無残なれ。
これより予は一汎に著《あら》われたる合祀の悪結果を、ほぼ分項して記さんに、
第一、神社合祀で敬神思想を高めたりとは、政府当局が地方官公吏の書上《かきあげ》に瞞《だま》されおるの至りなり。電車鉄道の便利なく、人力車すら多く通ぜざる紀州鄙地の山岳重畳、平沙渺茫たる処にありては、到底遠路の神社に詣づること成らず。故に古来最寄りの地点に神明《しんめい》を勧請《かんじょう》し、社を建て、産土神《うぶすながみ》として朝夕参り、朔望《さくぼう》には、必ず村中ことごとく参り、もって神恩を謝し、聖徳を仰ぐ。『菅原伝授鑑』という戯曲三段目に、白太夫なる百姓|老爺《ろうや》が七十の賀に、三人の※[#「※」は「おんなへん+息」、498−8]《よめ》が集《つど》い来て料理を調うる間に、七十二銅と嫁に貰える三本の扇を持ち、末広《すえひろ》の子供の生い先、氏神へ頼んだり見せたりせんとて、いまだその社を知らざる一人の※[#「※」は「おん
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