の前週)の間、鼠、蛇等有害動物の名を言わず、これを言わば年中その家にそんな物が群集すると伝う(一八七〇年板ロイドの『瑞典《スエーデン》小農生活』二三〇頁、二五一頁)。古エジプト人は箇人は魂、副魂、名、影、体の五つから成り、神も自分の名を呼んで初めて現われ得、鬼神各その名を秘し、人これを知らば神をしてその所願を成就せしめ得と信じ、章安と湛然《たんねん》の『大般涅槃経疏《だいはつねはんぎょうそ》』二には、呪というはその実鬼神の名に過ぎず、その名を唱えらるると鬼神が害をなし得ぬとある。ちょうど夜這《よば》いに往って熊公じゃねえかと呼ばるると褌を捨てて敗亡するごとく、南無阿弥陀仏の大聖不動明王のと名号を唱えらるると、いかな悪人をも往生せしめ、難を救わにゃならぬ理窟だ。さればわが国史にも田道将軍の妻、形名君の妻と、夫の名のみ記して妻の名を欠き、中世、清少納言、相模《さがみ》、右近《うこん》と父や夫や自分の官位で通って実名知れぬ才媛多い。仏領コンゴに姉妹の名を言い中《あ》てて両人とも娶り得た噺《はなし》あるごとく(一八九八年板デンネットの『フィオート民俗記』四章)、女の実名を知ったら、その女を靡《
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