うぶきゃらおんな》』四に、大阪新町太夫の品評が、槌屋理兵衛方に及んで「したるい目付き掃部さま、これが槌屋の大黒なり」と、この娼を家の大黒柱に比べおる。四壁庵の『忘れ残り』上巻に、吉原江戸町三丁目佐野槌屋の抱《かか》え遊女|黛《まゆずみ》、美貌無双孝心篤く、父母の年忌に廓中そのほか出入りの者まで行平鍋《ゆきひらなべ》を一つずつ施したり、「わがかづく多くの鍋を施して、万治この方にる者ぞなき」とほめある。これらよりもずっと著われたは安永二年|菅専助《すがせんすけ》作『傾城恋飛脚《けいせいこいのたより》』で全国に知れ渡り、「忠兵衛《ちゅうべえ》は上方者《かみがたもの》で二分残し」とよまれた亀屋の亭主をしくじらせた北の新地槌屋の抱え梅川《うめがわ》じゃ。
槌は只今藁を打ったり土を砕いたり専ら農工の具で、大高源吾が吉良《きら》邸の門を破ったり、弁慶が七つ道具に備えたりくらいは芝居で見及ぶが、専用の武器とは見えず。
だが昔大分地方の鼠の岩屋等の強賊、皇命に従わざりしを景行天皇ツバキの槌を猛卒に持たせ誅殺した事あり(『書紀』七)、この木は今も犬殺しも用い身に極めて痛く当る。『史記』には槌を以て朱亥
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