ろう。
 鼠が人を助けた話は仏経にもある。『大宝積経《だいほうしゃくきょう》』七八に、王舎城の迦蘭陀竹園《からんだちくおん》は無双の勝地で、一切の毒虫なく、もし毒虫がこの園に入らば毒心がなくなる。衆生この園に入らば、貪慾、瞋恚、愚痴を発せず、昔|瓶沙王《びょうしゃおう》登極《とうきょく》の初め、諸|釆女《うねめ》とこの園に入り楽しまんとせしに、一同自ら覚《さと》りて婬欲なく戯楽を娯《たの》しまず、その時王もし仏が我国に出たら我れこの勝地を仏に献ずべしと発願《ほつがん》し、後《のち》釈尊に遇って献じたという。甚だ面白からぬ勝地だ。この竹園の名、迦蘭陀は動物の名でホトトギスの一種、学名ククルス・メラノレウクスという鳥に基づくとも、一種の鼠の名に拠るともいう(『翻訳名義集』六。アイテルの『梵漢語彙』七一頁)。『善見毘婆沙律《ぜんけんびばしゃりつ》』六に迦蘭陀は山鼠の名なり。瓶沙王諸妓女と山に入りて遊び倦《う》んで樹下に眠る。妓女四散遊戯して側にあらず、樹下の穴より毒蛇出て王を螫《さ》さんとすると、樹上より鼠下り来りて鳴くごとに蛇が穴に退き入った。王ついに鼠の声に寤《さ》まされ、さては鼠の助けで蛇害を免れたと知り、山下の村の年貢でかの鼠を養わしめ、その村を迦蘭陀すなわち鼠村と付けたとある。また仏|成道《じょうどう》していまだ久しからず。六師の異端なお盛んに行われた時、栴遮摩那耆《せんしゃまなき》てふ女がその師に使嗾《しそう》されて、日々まじめ顔で仏の説法を聴きに通う内、腹に草を包み日々膨脹せしめ、後には木鉢を腹に繋《つな》いで臨月の体を示した。時にその師、仏の説法場に至り高声に、仏は大詐欺者だ。わがこの娘を私愛してかくボテレンに仕上げたと喚《わめ》き散らした。その時帝釈一の黄鼠と化して女の裾《すそ》にあり、鉢に繋いだ緒を咬《く》い切り鉢を地に落して仏の無罪を明らかにした(『菩薩処胎経』五)。南米のカリブ人最初天より地に降った時、カッサヴァや芭蕉など有用な植物は集って一大木に生じいた。獏《ばく》一番にこれを見付け、樹下に落る果実を飽くまで食って肥え太る。カリブ人ら何卒獏がどこで果実を拾うかを知らんと勉むれど知り得ず。まず啄木鳥《きつつき》に命じ探偵せしめた。しかるにこの鳥獏を蹤跡《しょうせき》する途中ちょっと立ち留って樹をつつくと虫が出る、それを食うと素敵に旨《うま》い。人間
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