願を得れば他なきを獲、晋の釈道安、昔西方に至り親しくかくのごときを見たという(『類函』四三二)。もと鼠は物を損じ汚す事夥しく、かつ窮する時は人や獣をも食うので、鼠のために全滅した聚落や、村を立て得なんだ土地さえあり(プリニウスの『博物志』巻八、章四三。ピンカントン『海陸紀行全集』の記事は上に引いた)、因って多くの国でこれを凶物としその鳴くを聞くを不吉とす(ジャクソンの『コンカン民俗記』八四頁、コラン・ド・プランシーの『妖怪事彙』四二六頁、アボットの『マセドニア民俗記』一〇八頁)、英国の南ノルサンプトンでは今まで無事だった家へ急に鼠が侵入すれば家人が遠からぬ内に死に、鼠が人の上を走ればその人必ず死し、病蓐《びょうじょく》辺で鼠鳴けば病人助からずという(一八五九年板『ノーツ・エンド・キーリス抄記』一二頁)。支那でも『論衡』に鼠一|筐《きょう》を渉《わた》れば飯|捐《す》てて食われず、古アングロ・サキソン時代に英国で犬や鼠の食い残しを知って食ったら神頌を百遍、知らずに食ったら五十遍唄わせた(一八四六年板、ライトの『中世英国文学迷信歴史論文集』巻一、頁二四一)。小アジアのユールーク人が熊や羚羊の飲んだ跡の水を文明人が飲むと自分らごとき蛮民になると信ずるごとく(一八九一年板、ガーネットの『土耳其《トルコ》女および風俗』二巻二一三頁)、鼠の残食を参れば鼠の性を受くると信じたのだ。
 かく忌み嫌わるるもの故諸獣を神とし尊ぶ例多きも鼠を拝む例は少ない。『大英百科全書』十一板二巻動物崇拝の条にも挙げていない。吾輩知る所を以てすれば、西半球にシュー人は鼠の近類たる麝香《じゃこう》鼠を創世神の一とす(一九一六年板、スペンスの『北米|印甸人《インディアン》の鬼神誌』二七一頁)。東半球には何でも中央アジアのトルキスタン辺にシュー人と等しく鼠を利害に関せず祖霊とした崇拝が大いに行われ、上述ごとく祖神がその子たる人間を護り、祈れば福利を与え、祈らずば損害を加うと信じ、支那で鼠を子《ね》年、子《ね》の方位の獣と立つる風と、インドで毘沙門を北方の守護とする経説を融通して、ついに毘沙門の後胤と称する国王も出で来れば、鼠の助力で匈奴に大捷《たいしょう》した話も出で来たと見える。而してわが邦に行わるる大黒と鼠を合せた崇拝も、実はこの毘沙門から移ったもの多く、初め厨神だったものが軍神として武士に祈らるるに及
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