えたのが大木となり存した、能因法師その梢《こずえ》を見るなり車より飛び下り、その松の見ゆる限り乗らずに歩んで故人に敬意を表したとあるより考うると、子の日の遊び必ずしも正月に限らず二月に行うた事もあり、専ら小松を引き来って植えその千年を祝う意で一盃と出掛けたのだ。前述支那朝鮮に上子の日また初春の某日に田畑を焼いて年中の鼠害を防いだごとく、日本でも蓍に小松を添えて帚と為《な》し、初子の日に蚕室を掃除し初むる行事が宮廷に及ぼして子の日の御宴に玉帚を賜うて一盃やらかしたもうに至ったので、酒を愁《うれ》いを掃う玉帚というも立派に訳が立つ。およそ蚕に鼠が付くと何とも手に終えぬもので、家人夜も寝ずにこれを防ぎ、あるいは鰹節《かつおぶし》を惜しまず他家の猫を誘い括《くく》って放たず、ために比隣反目して白井権八《しらいごんぱち》は犬の捫択《もんじゃく》から人を殺して逐電したが、これは猫の手も間に合せたい多忙中に猫から大喧嘩を起し、やがて事治まって一盃となると異議に及ばず、お前のおかげで大分飲めた、持つべき物は猫なりけりと猫の額を撫《な》でて悦ぶ者多し。『嬉遊笑覧』七にいわく、元日より三日は家をはく事をせぬわざあり、今はさまでにはあらねど元日は民家すべて掃除をせず、『五雑俎』※[#「門<虫」、第3水準1−93−49]《びん》中の俗、年始に糞土を除かず、初五日に至りて輦《れん》して野地に至り石を取って返ると。その通り蚕室は初子の日初めて掃除したので、子の日を用ゆるは専ら鼠害を厭《よう》する意と見える。
今村君の『朝鮮風俗集』にまたいわく、上子の日子の刻臼をつけば鼠の種尽くると称し、深夜空臼の音を聞く、昔宮中で小官吏が炬《かがり》に火を付けて大声に鼠|燻《いぶ》し鼠燻しと呼んで庭内を曳きずり廻した後、王様から穀物の煎《い》ったのを入れた袋を賜わった事が民間に伝わったものであると。これも恐らくは虫焼きと同じく支那の古俗が移ったであろう。日本でもこの風を移してこの日小松を引いて松明《たいまつ》を作り鼠を燻《ふす》べて年内の鼠害を禁じたのが子の日に小松を引いた起りで、後には鼠燻しは抜きとなり、専ら小松を栽《う》えて眺め飲み遊ぶに至ったので、その遺風として『袖中抄』の成った平安朝の末頃まで田舎で蚕室の掃き初《ぞ》め式の帚に小松を添えて鼠どもグズグズいわば燻ぶるぞと脅かしたのだ。
フレザーの『金
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