ずるは夥しいものあり。欧州の尾の短い鼠ハムスターというは、秋になると穀豆を掠《かす》めて両頬に含み両手で堅く押し付けてはまた含み込み、巣に返って吐き出し積んで冬蟄《とうちつ》する間の備えとす。一匹で穀六十ポンド、またハンドレッド・ウェートの豆を備えたもあるという(ウッドの『動物図譜』一)。ピンカートンの『海陸紀行全集』一に収めたマーチンの『蘇格蘭《スコットランド》西島記』に、ロナ島へどこからとも知れず鼠群れ来って島中の穀を食い尽した上、泣き面に蜂とか、水夫が上陸してただ一疋あった牛を掠め去ったから、全く食物なくなったのに一年間糧船来らず、全島の民が死に尽した。またロージル村に夥しく鼠生じて、穀物、牛乳、牛酪《バター》、乾酪《チーズ》口当り次第平らげたので、住民途方に暮れ猫を多く育てたが、猫一疋に鼠二十疋という多数の敵を持ちあぐんで気絶せんばかりに弱り込んだ。ある人奇策を考え付いて、猫が一疋の鼠と闘うごとに牛乳を暖めて飲ました。すると猫大いに力附いてついに一疋余さず平らげてしまったと記す。日本にも永正元年武州に鼠多く出て、昼、孕み女を食い殺し、その処の時の食物を食い猫を鼠皆々食い殺す(『甲斐国妙法寺記』)。『猫の草紙』に「その中に分別顔する鼠云々、きっと案じ出したる事あり、このほど聞き及びしは近江国御検地ありしかば免合《めんあい》に付きて百姓稲を刈らぬ由。たしかに聞き届くるなり、まずまず冬中は罷《まか》り越し稲の下に女子どもを屈《かが》ませ云々」、これだけでは野鼠冬中刈り残しの稲ばかり害するようだが、『郷土研究』二巻八号矢野宗幹氏の説を読むになかなかそんな事で止まらず、伊豆国など毎度これがために草山は禿げになって春夏も冬に同じく、村々では茅《かや》で屋根をふく事ならず、牛の飼草もなく、草を食い尽して後は材木を荒らし、人民をして造林は不安心な物てふ念を抱《いだ》かせ、その害いうべからず。近頃毛皮のために鼬《いたち》を盛んに買い入れ殺すより野鼠かくまで殖えただろうと言われた。二巻九号また三宅島に多く犬を飼い出したため山猫減じ、野鼠の害多くなったと記す。朝鮮でも野鼠殖えて草を荒らす予防に、正月上子の日その蟄伏した処を焼いて野草の繁茂を謀ったので、支那で一月七日に家鼠を饗するを虫焼きと呼ぶも、本《もと》この日野鼠を焼き立てる行事があった遺風だろう。蝙蝠は獣だが翅《はね》ある故
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