さて、応挙まことに画の妙手で、矢背《やせ》まで出掛ける熱心|熾《さか》んなれど写した所が病猪と気付かず。またよく長常の彫り癖を暗記したがその悪い癖たるを識らず。人智誠に限りありだ。さてこそマケドニアの画聖パムフィロスは、画師は画のほかの一切の智識をも具えにゃならぬと力説した(プリニウス『博物志』三五巻三六章)。ついでにいわく、支那で野猪を画いた古い例は、『晋書《しんじょ》』に、※[#「登+おおざと」、第3水準1−92−80]《とう》氏の妻病篤く、医|巫《ふ》手をこまぬき尽しても及ばず、韓支|筮《ぜい》して野猪を画かせ、臥室の屏風《びょうぶ》に貼らしめて※[#「やまいだれ+差」、第4水準2−81−66]《い》えたそうだ。
 右のパムフィロスは一タレント以下の謝金では画は教えず。わが二千円ほどだ。かく高値を払うて教えを受けた中にアペルレースはギリシア空前の画聖、その妙技について一、二談を挙げんに、かつて諸画師と競うて馬を画くに、審査員他の輩に依怙《えこ》す。ア画馬は馬に審査せしめよとて、馬数匹を牽《ひ》き来らしめ諸画を示すに、アの画馬を見て始めて鳴いたからアを一等とした。一説にアレキサンダ
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