がね癖なれば直さんとのみ思う。その癖を彫らんとするはもっとも難き事なり、癖を正さんとして自ずから癖の彫られたるはあるべしといいければ、阿波守物の上手その妙《たえ》なるを感じて小柄を彫らすを止めたり」と記す。この阿波守は只今東京で医を開業しいる重次郎君の先祖であろう。予君の父君に久しく止宿して後渡米の時その家から出で立った。父君は京生まれで、笙《しょう》を吹き、碁を囲んで悠々|公卿《くげ》風の人であった。同宿に伊予人井林というありて至極の無法者たり。かつて共立学校で賄《まかな》い征伐のみぎり、予は飯二十六椀、井林も二十一、二平らげ、両人とも胃病で久しく悩んだが、大食の東西関としてロンドンで山座円次郎氏に遇った時もその話が出た。ある夜中井林急に金盥《かなだらい》を敲《たた》き火事と呼んで走り廻ったので樫田氏の家内大騒ぎし、まず重次郎氏当時幼少なるを表|神保町《じんぼうちょう》通りへ立ち退《の》かせたが、一向火の気がないので安心したものの、重次郎氏の母以てのほか立腹して翌朝井林を追い却《かえ》した。去年予寄附金集めに三十六年ぶりで上京した時、井林義兵を挙げて馳け付けたが一文もくれなんだ。
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