手に達せずと。人々男の小さきは生まれ付きなり、能の上手下手に係らずやと問うと、太夫、善知鳥《うとう》の曲舞《くせまい》に鹿を追う猟師は山を見ずという古語を引き居る。鹿に全く心取らるれば山の有無も知れぬものだ。我が芸まことに上手なら見物はそれに心取られてわが男の大小などに気付かぬはずだ。我が芸未熟なればこそ男の小さきが目に立ったのだと語るを聞いて、皆人誠に物の上手は別な物と感心したそうだ。
舜は邇言《じげん》を察したとか。今日書物で読んでさも自分が煉《ね》り出したように、科学の学識のと誇る事どもも皆過去無数|劫《こう》の間不文の衆人が徐々に観察し来った功績の積もった結果だから、読書しない人の言を軽んずべきでなく、未開半開人も驚くべき経験上の知識を持ち居る例多い。お江戸日本橋七つ立ち、初《はつ》上りの途に著いてから都入りまで五十三駅の名を作り入れた唄を、われら学生の時唄いながら箱根山を下駄穿《げたば》きで越えて夏休みに帰国したものだ。その内に「上る箱根の御関所でちょいとまくり、若衆の物では受け取れぬ、こちゃあ新造でないかとちょと三島」てふ名句があった。箱根の関を婦女が通るは厳禁で、例せば
前へ
次へ
全90ページ中71ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング