道の討ち死にがこの辺で大抵の人に通用すると同例だから、俗語の根源と伝播は当身確かな記録があるにあらざれば正しく説き中《あて》る事すこぶる難い。これを強いて解きに掛かるより豕がオルガンを奏すてふ俚語におけるごとく、諸説紛々たるも今に※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1−92−53]《およ》んでいずれが正解と判断し能わぬ。
『日本紀』七に日本武尊東征の帰途、毎《つね》に水死した弟橘媛《おとたちばなひめ》を忍びたもう。故に碓氷嶺《うすひね》に登りて東南を望み三たび歎じて吾妻《あずま》はやといった。爾来東国を吾妻の国というと見える。故浜田健次郎氏か宮崎道三郎博士かの説に、韓語で日出をアチムというから推して本邦上古日出をアツマといったと知れる。したがって日出処の意で東国をアツマノクニといった本義は早く忘却され、強いてこれを解かんとて日本武尊の事をこじつけたとあった。『太平記』などに関所として著名な樟葉《くすば》という地あり。『日本紀』五に彦国葺《ひこくにぶく》が武埴安彦《たけはにやすびこ》を射殺した時、賊軍怖れ走って屎《くそ》を褌《はかま》より漏らし甲《よろい》を脱いで逃げたから、甲を脱いだ
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