ただしは僭上なる字を知らぬ人がたまたま千石少弐の行いを見聞して僭上を千少と曲解したのか、『為愚痴物語』を読んだばかりでは判じがたい。
 往年広島在の高橋てふ男、大井馬城に随ってシンガポールに渡り放浪中、その頃日本領事だった藤田敏郎氏よりロンドン在留大倉喜三郎氏宛て「この者前途何たる目的もこれなく候えども、達って御地へ参り候に付き、しかるべく御世話頼み入り候なり」という古今無類の紹介状を貰い渡英したが、全く英国風に化せず、本国にある壮士同然の振る舞いに、大倉氏も愛憎をつかしほり出した。それから当時ロンドンで総領事だった荒川巳次君宅へ寄食したが、子供の守りをするがうるさいとかで逃げ出し、前途何たる目的もなしに一日大英博物館をうろつく内、余り異風な故守衛が何国の産かと問うと日本と答う。日本人なら館内に南方という人があると聞いてたちまち予に面会を求めた。既に多年海外にあって同国人にはひどい目にたびたび逢った予は余り好まなかったが、とにかく腹がへってかなわぬというから館外の食堂へ伴れ行き一食させ、事情を聞いて色々世話し、その頃高名の詩人サー・エドウィン・アーノルド夫人が日本生まれだったのでその厄
前へ 次へ
全90ページ中60ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング