ムデンは言った。レイの説にはその地の教区寺のオルガン手にピクス(豕)なる人が昔|在《い》たからと解き、ケイヴはかの地古くオクスフォード伯の領所で、教区寺のオルガンの楽鍵ごとにその端に伯家の紋章豕を鐫《え》りあるからと釈いた(今年一月十三日の『ノーツ・エンド・キーリス』三四頁)。俚諺の根源を説くに、かく種々ありて一定せず、いずれを正説と定めがたい。寛文二年板『為愚痴《いぐち》物語』六に秀吉公の時、千石少弐なる人、「万《よろず》の道にさし出で、人も許さぬ公儀才覚立てして差してもなき事をも事あり顔にもてなし、親しき朋友と寄り合い打ち頷《うなず》き呟《つぶや》きなどする事を好めり、さればその頃世人のさようの振る舞いする人をば千石少弐を略して千少もの、千少事などいいて上下笑い草となせり、それを今の代までも言い伝えたり、昔より言い伝えたる詞《ことば》に、文字にも当らず義理にもあらず、何とも知れざる詞多し、皆この類にてやあらまし、また僭上は古き字なり」と記す。僭上は身分不相応な上わぞりをする義で古来この語あり。ここに見えた千石少弐の行いと多少違うから、千少と僭上ともと別で後《のち》混一されたものか、
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