修した者極めて多ければ、当時エジプトの人数が僧俗等しといわれた。そのコンスタンチン大帝の厚聘《こうへい》を却《しりぞ》けてローマに拝趨《はいすう》せなんだり、素食《そしょく》手工で修業して百五歳まで長生したり、臨終に遺言してその屍の埋地を秘して参詣の由なからしめ、以てガヤガヤ連の迷信の勃興を予防したなど、その用意なかなか徳本輩の及ばないところだ。されば今に※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1−92−53]《およ》んで欧州諸国にその名を冠した寺院も男女も多い(ギッボンの『羅馬衰亡史』三七章。スミスの『希羅人伝神誌辞彙』一八四四年版一巻二一七頁。チャムバースの『日次書』一巻一二六頁。『大英百科全書』十一版二巻六九頁参照)。
 さてアントニウス尊者の伝を究めて吾輩のもっとも希有《けう》に感じた一事は、この尊者壮歳父母に死に別れた時、人間栄華一睡の夢と悟って、遺産をことごとく知友貧人に頒与《はんよ》し、百千の媚惑脅迫と難闘して洞穴や深山に苦行を累《かさ》ねたが、修むるところ人為を出《いで》ずで、妻を持ち家を成し偽り言わず神を敬し、朝から晩まで兀々《こつこつ》と履の破れを繕うて、いと平凡に世
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