、第4水準2−80−43]《はりねずみ》の慎、狼の捷、犬の諦《あきら》め、ナグイルの貌《かたち》と、野猪の奮迅を兼ね持たねばならぬといったごとく、断じて行えば鬼神もこれを避くで、突き到る野猪の面には矢も立たぬという意かと思うたが、それでは通じない例が多いようだ。最近に、享保十八年板『商人軍配団』四を見ると、向う猪に矢が立たぬとて、直ちに歎かば、鬼のような物も、心の角《つの》を折るものなりとありて、原意は、ともかく、当時専ら謬《あやま》り入って来る者を、強いて苦しめる事はならぬという喩《たと》えに用いたと見える。昔の諺を解するは随分むつかしい。
エストニヤの譚に、王子豕肉を食うて鳥類の語を解く力を獲《え》、シシリアの譚は、ザファラナ女、豕の髭三本を火に投じてその老夫たる王子を若返らせ、露国の談に、狼が豕の子を啖わんと望むとその父われまず子を洗い伴れ来るべしとて、狼を橋の下の水なき河中に俟《ま》たしめ、水を流してほとんど狼を殺す事あり。さればアリストテレスは、豕を狼の敵手と評し、ギリシャの小説にこの類の話数あり(グベルナチス『動物譚原』二巻一一頁)。猪の美質を挙げた例このほか乏しからず。
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