告げて蛇の身に立たしむるぞと脅した歌の心でなかろうか。神代に萱野《かやの》姫など茅を神とした例もあれば、もと茅を山立姫というに、それより茅中に住んで茅同然に蛇が怖るる野猪をも山立姫といったと考える。佐藤成裕の『中陵漫録』六に、『本草綱目』に頭斑身赤文斑という、また蝮蛇錦文とあるに因って蝮蛇を錦まだらという、山たち姫といわば鹿だ。『本草』に鹿を斑竜と異名したから、山竜姫というが、鹿は九草を食して虫を食わぬ。好んで蝮蛇を食うものは野猪だから山竜姫は野猪であろうといったが、なぜそう名づけたかを解いていない。
 ついでにいう。津村正恭の『譚海』一五に、蝮蛇に螫《さ》されたるには年始に門松に付けたる串柿を噛み砕いて付けてよしと出づ。田辺近村で今も蝮に咬まれた所へ柿また柿の渋汁を塗る。宮武粛門氏説に、讃岐国高松で玄猪《げんちょ》の夜藁で円い二重の輪を作り、五色の幣を挿し込み、大人子供集りそれを以て町内を搗《つ》き廻る。その時唱う歌の一つに「猪《い》の子神さん毎年ござれ、祝うて上げます御所柿《ごしょがき》を、面白や云々」、『華実年浪草《かじつとしなみぐさ》』十に、ある説に亥子餅《いのこもち》七種の粉を合せて作る。大豆、小豆、大角豆《ささげ》、胡麻、栗、柿、あめなりとあって、柿も七種の粉の仲間入りをしているが、件《くだん》の歌に特に柿を上げますというのは、猪は格段に柿を好むにや。果してしからば偶合かも知れないが、猪と柿と両《ふた》つながら蛇毒を制すと信ぜられたは面白い。
『大和本草』附録下に、野猪の脂は、婦人をして乳多からしめ、疥癬を治す。プリニウスの『博物志』二八巻三七章にも豕脂が疥癬に効あるを述べ、また新鮮なる豕の脂を陰膣に込んで置くと、子宮中の児に滋養分を給し流産を禦《ふせ》ぐと載す。乳を多くしたり流産を防ぐなど婦女に大効あるらしい。グベルナチスの『動物譚原』にいわく、豕はもっとも好婬な動物の一だからピタゴラスは多婬家は豕に生まれ換わるといい、婬蕩人を豕と呼ぶ。ヴァロ説に、昔エトルリアの王や貴人は新婚に豕を牲した。それから精力強い女を豕と呼ぶと。これを読んで、さほど精力強い豕を食ったら定めて精力強くなる理窟で、豕をシシと呼んだ事は上に述べた通り、それからむやみに子を孕《はら》んで困るをシシ食うた報いというたに相違ないと、独りよがりをやらしていたところ、『嬉遊笑覧』を読んで自説の大間違いたるを悟った。その巻の十上にいわく、犬は鷹にも飼い人も食いしなり、『徒然草』に雅房大納言鷹に飼わんとて犬の足を切りたりと讒言《ざんげん》したる物語あり、『文談抄』に鷹の餌に鳥のなき時は犬を飼うなり。少し飼いて余肉を損ぜさせじとて生きながら犬の肉をそぐなり、後世も専らこれを聞きたりと見えて、『似我蜂《じがばち》物語』に江戸の近所の在郷へ公より鷹の餌に入るとて、犬を郷中へささ(課)れけるという物語あり。『続|山井《やまのい》』、
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鷹の峯のつち餌になるな犬桜    宗房
しゝ食うたむく犬は鷹の餌食《えじき》かな  勝興
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と。これでしし食うた報いの意が解けた。これに似た事、『中陵漫録』五に、唐人猪の尻の肉を切って食し、また本のごとく肉生ずれどもその肉硬くなりて宜《よろ》しからずとある。
 いずれも無残な仕方だが、まだ酷《ひど》いのはアビシニア人が牛を生きながら食う法で、ブルースはかの国の屠者を暗殺者と呼んだ。モーセの制法を守る言い訳に、五、六滴を地に落した後《のち》屠者二人または三人は上牛の脊の上の上脊髓の両傍の皮を深く切り、肉と皮の間に指を入れて肋骨へ掛けて尻まで剥《は》ぐ。さて骨に掛けず流血も少なく尻の肉を四角な片《きれ》に刻み去る。牛大いに鳴く時客人一同座に就く。牛は戸辺にあって流血少なし。屠者骨より肉を切り離すは腿や大動脈のある処を避く。ついに腿の肉を切り取るに及び牛夥しく血を出して死す。死んだ後の肉は硬くて旨からずとするとあって、つまりアビシニア人は生きた牛から切り取ってその肉を賞翫するのだ(一八五三年版、パーキンスの『アビシニア住記』一巻三七二頁以下)。ただしアビシニア人を残酷極まると記した英国人も、舌を満足させるために今も随分酷い屠殺|割烹《かっぽう》法を行う者で、その総覧ともいうべき目録を三十年ほど前『ネーチュール』へ出した人があったが、予ことごとく忘れてしまい、鰕《えび》を鍋の中で泳がせながら煮る一項だけ覚え居る。というと日本でも生きた泥鰌《どじょう》を豆腐と一所に煮てその豆腐に穿《うが》ち入りて死したのを賞味する人もあるから、物に大小の差こそあれ無残な点に甲乙はない。故に君子は庖厨《ほうちゅう》を遠ざくで、下女が何を触れた手で調《ととの》えたか知らぬ物を旨がるところが知らぬが仏じゃ。
 一七一五
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