年版、ガスターの『ルマニア鳥獣譚』にいわく、古いヘブリウ口碑を集めた『ミドラシュ・アブクヒル』に次の譚あり。人祖ノアが葡萄を植えた処へ天魔来り手伝おうといい、ノア承諾した。天魔まず山羊を殺してその血を葡萄の根に澆《そそ》ぎ、次に獅子、最後に豕の血を澆いだ。それから人チョビッと酒を飲むと面白くなって跳ね舞わる事山羊児に異ならず。追々に飲むに従って熱くなって吼《ほ》ゆる事獅子に同じ。飲んで飲みまくった揚句《あげく》は、ついに泥中に転《ころ》げ廻ってその穢を知らず、宛然《さながら》猪の所作をする。葡萄の根に血を澆いだ順序通りにかく振れ舞うのだと。一説に、ジオニシオス尊者ギリシアに長旅し疲れて石上に坐り、見ればその足の辺《あたり》に美しい草が一本芽を出しいた。採って持ち行くに日熱くて枯れそうだから、鳥の小骨を拾いその中に入れ持ち行くと、尊者の手の徳に依ってその草速やかに長じて骨の両傍からさし出でた。これを枯らしてはならぬと獅子の厚い骨を拾い、草を入れた鳥の小骨をその中に入れ、草なおも生長して獅子の骨に余るから、一層厚い驢《ろ》の骨を見付け他の二骨を重ねてその草を入れ、志したナキシアの地に至って見ると、草の根が三つの骨に巻き付いて離れず、これを離せば草を損ずる故そのまま植えた。その草ますます長じて葡萄となり、その実より尊者が初めて酒を造り諸人に与えた。ところが不思議な事は、飲む者初めは小鳥のごとく面白く唄い、次に獅子のように猛《たけ》くなり、その上飲むと驢の体《てい》たらくに馬鹿となったという。驢も豕同様、獣中最も愚とせられた物だ。
『王子法益壊目因縁経』に、高声|愧《は》ずるなく愛念するところ多く、是非を分たぬ人は驢の生まれ変りで、身短く毛長く多く食い睡眠し、浄処を喜ばざるは猪中より生まれ変るといい、『根本説一切有部毘奈耶』三四に、仏諸比丘に勅して、寺門の屋下に生死論を画かしむるに、猪形を作って、愚痴多きを表すとある。『仏教大辞彙』巻一の一三三八頁にその図二ある。猪が浄処を喜ばぬとは、好んで汚泥濁水中に居るからで、陶穀の『清異録』に小便する器を夜瀦《やちょ》という、『唐人文集』に見ゆと記す。溜り水を瀦というも豕が汚水を好むからだろう。蘇東坡《そとうば》仏印と飲んで一令を行うを要す。一庭に四物あり、あるいは潔《きよ》くあるいはきたなく韻を差《たが》うを得ず。東坡曰く、美妓房、象牙床、玻※[#「王+黎」、第3水準1−88−35]盞《はりさん》、百合香と。仏印曰く、推瀦水、※[#「やまいだれ+慊のつくり」、291−2]瘡腿、婦人陰、※[#「髟/胡」、291−3]子嘴と(『続開巻一笑』一)。ブラントームの『レー・ダム・ガラント』第二に、ある紳士が美人睡中露身を見て一生忘れず、居常讃嘆してわれ毎《つね》にこれを観想するのほかに望みなしといったとあるは、仏印の所想とすこぶる違う。さてその紳士その美人を娶れば娶り得るはずだったが、利に走る世の習い、その美人よりも富んでさほどの標緻《きりょう》を持たぬ女を妻《めと》ったとは、歎息のほかなし。
 荘子は亀と同じく尾を泥中に曳《ひ》かんといったが、猪が多く食って泥中に眠るも気楽千万で、バウルスは豕を愛する甚だしく、上帝が造った物の中最も幸福なものは豕だといった。殊に太った豕ありと聞かば二十マイルを遠しとせず見に往った。生きた豕の愛が※[#「酉+奄」、第3水準1−92−87]豕肉にまで及んで、宴会に趣くごとに自製の※[#「酉+奄」、第3水準1−92−87]豕肉をポケットに入れ往き、クックに頼んで特に調味せしめた(サウゼイの『随得手録』四輯)。自分が愛する物を食うは愛の意に戻《もと》るようだが、愛極まる余りその物を不断身を離さずに伴うには、食うて自分の体内に入れその精分を我身に吸収し置くに越した事がない。猫が人に子を取らるるを患《うれ》いてその子を啖《く》い(ロメーンズの『動物の智慧』一四章)、諸方の土蕃が親の尸《しかばね》を食い、メキシコ人等が神に像《かたど》った餅を拝んだ後食うたなども同義である。わが邦の亥の子餅ももと猪を農の神として崇めた余風で、猪の形した餅を拝んだ後食ったらしい。この事は後に論じよう。[#地から2字上げ](大正十二年一月、『太陽』二九ノ一)

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 ロメーンズの『動物の智慧』十一章に挙げた諸例を見ると、豕を阿房《あほ》の象徴とするなどは以てのほかと見える。その略にいわく、豕の智慧は啖肉獣(犬猫等)のもっとも賢いものに比べると少し劣るのみなるは、学んだ豕とて種々の巧技を演ずるを見ても首肯し得る。豕がなかなか旨く門戸の鎖《とざし》を開くは、ただ猫のみこれに比肩し得る。ツーマー兄弟なる者豕を教えて二週間の後|禽《とり》の在所を報ぜしめ、それより数週後に獲物を拾い来らしめた。そ
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