だのを引いた。つまり僧と豕を一視するの盛んなるより尊者を豕の守護尊としたらしい(『ノーツ・エンド・キーリス』十二輯第十一巻三一六頁。グベルナチス『動物譚原』二巻六頁。エチアンヌの『エロドト解嘲《かいちょう》』二二章)。『小夜《さよ》嵐』三に、ぶたのもしき坊主とあるは頼みにならぬ坊主で豕に関係なし。僧と豕について次の珍談あり。
十六世紀にナヴァル女王マーゲリットが書いた『エプタメロン』三四譚に述べたは、一夜灰色衣の托鉢僧二人グリップ村の屠家に宿り、その室と宿主夫婦の寝堂の間透き間多き故、臥《ね》ながら耳を欷《そば》だて聞きいると、嬶《かか》よ、明朝早く起しくれ、灰色坊主のうち一疋はよほど肥えているから殺して塩すると大儲けのはずと言う。この家に飼った豕を灰色坊主と名づけたと夢にも知らぬ二僧これを聞いて終夜眠らず、その一人甚だ肥満しいたのでてっきり自分は殺さるる、戸は鎖《と》ざされたから夫婦の室を通らにゃ遁《のが》れず、何としたものと痩せた僧に囁《ささや》くと、それよりこれが近道と、窓を開いて地に飛び下り友をも俟《ま》たずに逃げ去った。肥満僧続いて飛び出すはずみに体が重くて誤って落ち、片脚を損じて走り得ず。近くに豕箱あるを見付けて這い往き、戸を開くと大豕二頭突き出て去った。跡へ入って身を潜め誰か通らば救いを乞わんと思いいる内、暁方《あけがた》近く屠者はでっかい庖丁《ほうちょう》を磨《と》ぎ、北の方《かた》同道でやって来て箱の戸を明け、「灰色の坊様出てきやれ、今日こそお前の腸を舌鼓打って賞翫しょう」と大いに呼ばわる。坊主は身も世もあらぬ思いに腰全く抜け、どうぞ命をと叫びながら四つ這いで出るを見て夫婦も尻餅《しりもち》、平素畜生を灰色坊主と呼んだ故、灰衣托鉢僧団の祖師フランシス大士が立腹と早合点で、地にひれふし、大士と弟子たちの宥免《ゆうめん》を願い奉ると夫婦|叩頭《こうとう》、坊主も頓首《とんしゅ》し続けて互いに赦しを乞う事十五分間とは前代未聞の椿事なり。ようやく夕べ宿《とま》った坊様と知れてやや安堵すれば、僧また豕箱隠れの事由を語り、双方大笑いで機嫌は直れど損じた脚は愈えず。亭主気の毒さの余りかの僧を家に請じて鄭重にもてなす。痩せた坊主は終夜休まず走って朝方|荘官《しょうかん》方へ著き、怪しからぬ屠家へ宿った、同伴は続いて来ぬから殺されたは必定《ひつじょう》と訴え出たので、荘主フォルス卿、急ぎ人を馳せて検察せしむると右の始末と、聞いた者一人も泣かずに済んだと、後日フォルス卿がフランシス一世王の母アグレームン女公の臍《へそ》に茶を沸かしめて語った由。
『通俗三国志』に曹操《そうそう》董卓《とうたく》を刺さんとして成らず。故郷に逃げ帰る途中関吏に捕われしを、陳宮これを釈し、ともに走って、三日の暮方に成皐に到る。操曰く、そこの林中にわが父と兄弟のごとく交わった呂伯奢の家あり、今夜一宿しようと。すなわちその宅に入り仔細を話すに伯奢喜んで二人をもてなし、自ら驢に乗りて西村へ酒買いに往く。夜やや更《ふ》けて屋後に刀を磨《と》ぐ音す。曹操陳宮にこの宿主はわが真の親類でもなく、夜分出て往ったも覚束《おぼつか》なし。われらを生け取って恩賞を貪《むさぼ》るのでなかろうかと囁き、立ち聴きすると磨ぐ音やまず。さて二、三人の声して縛り殺せというた。さてこそ疑いなし、此方《こなた》より斬って掛かれと抜剣して進み入り、男女八人を鏖殺《おうさつ》して台所の傍を見れば生きた豕を繋《つな》ぎいた。陳宮悔いて全く豕を殺してわれらを饗する拵えだったに曹操急に疑うて無辜《むこ》を殺したと言う。曹操は過ぎた事は仕方がない、早く遁りょうと馬に乗って二里ほど逃げ伸びると、呂伯奢驢に騎し酒果携えて来り、二人の忙《いそ》ぎ走るを怪しみ何故早く去るぞ我家に豕一匹を用意した、是非一宿せよというを曹操たちまち刺し殺した。陳宮先に錯《あやま》って殺したは是非もないが、今また何で呂伯奢を殺したかと問うと、操人家に還って妻子の殺されたを見てそのままに置くべきかと答う。これより陳曹操の不仁を悪《にく》み、次の宿でその熟睡に乗じ刺し殺さんとしたが思い直してこれを捨て去り、後日|呂布《りょふ》の参謀となって曹操に殺されたとある。この話の方が『エプタメロン』の托鉢僧の譚より古いようだが、陣寿の『三国志』その他古書に見ゆるか、後代の小説に係るか只今調べ得ぬは遺憾だ。ただし『淵鑑類函』三〇九に〈初め太祖故人呂伯奢を過るや云々〉とあれば呂伯奢という人があったに論なし。
さてこの曹操呂伯奢を殺した譚に似たものが本邦にもある。いわく、大日《だいにち》という僧入宋して仏照徳光に参す。この大日は悪七兵衛景清が伯父なり。景清戦い負けて大日が所へ来る。大日|窃《ひそ》かに侍者を呼んで言いけるは景清見参疲れたり、酒を買
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