き、鴿《はと》は多貪染、蛇は多|嗔恚《しんに》、豕は多愚痴を表わす。この中心の円より外の輪に五、六の半径線を引いてその間に天・人・餓鬼・畜生・地獄の五趣、チベットでは、非天を加えて六趣を画く(『仏教大辞彙』一巻一三三八頁に対する図版参照。一八八二年ベルリン版、バスチアンの『仏教心理学』三六五頁および附図版)。これより転出したようなは、ブリタニーの天主教寺の縁日に壁に掛けて僧が杖もて絵解《えとき》する画幅で、罪業深き人の心臓の真中にある大鬼を七動物が囲繞《いにょう》の体《てい》だ。その蛙は貪慾、蛇は嫉妬、山羊は不貞、獅は瞋恚、孔雀は虚傲、亀は懶惰、豕は大食を表わす(『ノーツ・エンド・キーリス』九輯六巻一三六頁)。かく豕を表わすところ、仏教の愚痴、耶蘇教に大食と異なれど両《ふた》つながら碌《ろく》な事でない。
天主教の尊者アントニウスは教内最初の隠蟄者で専修《せんじゅ》僧の王と称せらる。西暦二五一年エジプトに生まれ、父母に死なれてその大遺産を隣人と貧民に頒《わ》け尽し、二十歳からその生村で苦行する事十五年の後、移りてピスピル山の旧寨《きゅうさい》に洞居し全く世と絶つ事二十年。四世紀の初め穴から這い出て多く僧衆を聚《あつ》め、更に紅海際の山中に隠れ四世紀の中頃|遷化《せんげ》した。その苦行を始めた当座はあたかも、悉達《しった》太子出家して苦行六年に近く畢鉢羅《ひっぱら》樹下《じゅげ》に坐して正覚《しょうがく》を期した時、波旬《はじゅん》の三女、可愛、可嬉、喜見の輩が嬌姿荘厳し来って、何故心を守って我を観《み》ざる、ヤイノヤイノと口説き立てても聴かざれば、悪魔手を替え八十億の鬼衆を率い現じて、汝急に去らずんば我汝を海中に擲《なげう》たんと脅かしたごとく、サタン魔王|何卒《なにとぞ》アントニウスの出家を留めんと雑多の誘惑と威嚇を加えた。すなわちまず海棠《かいどう》を羞殺《しゅうさい》して牡丹を遯世《とんせい》せしむる的の美婦と現じて、しみじみと親たちは木の胯《また》から君を産みたりやと質問したり、「女は嫌いと口にはいうて、こうもやつれるものかいな」などと繰りたり、私だってイじゃありませんかと、手で捜りに来たり、誘惑の限りを尽すも少しも動ぜぬから、今度はいよいよ化け物類の出勤時間、草木も眠る真夜中に、彼ら総出で何とも知れぬ大声で噪《さわ》ぎ立て、獅・豹・熊・牛・蝮蛇《まむし》
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