をかく名づけたのが仏教に移ったらしい。
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『仏説|楼炭経《るたんきょう》』一に拠れば、須弥山《しゅみせん》の山の北方の天下鬱単越洲の人、通歯髪|紺青《こんじょう》色で身の丈八丈、面色同等長短また等し。通歯とはいわゆる一枚歯だろう。仏の三十二相の第二は螺髪《らほつ》右旋《うせん》、その色紺青(『方広大荘厳経』三)、帝釈《たいしゃく》第一の后|舎支《しゃし》、目清くして寛に、開いて媚《び》あり、髪青く長く黒く一々|旋《めぐ》る(『毘耶婆《びやば》問経』下)。インドでは中国で漆黒というに異なり、碧黒を最美としたのだ。
『万葉集』に美髪を讃《たた》えてミナのワタとあるを面妖に思い、予試みにミナという溝中の小螺を割って見るとその腸が美しい碧黒色だったので、昔の日本人もインド人と同好だったと知った。それからこの北洲の人はことごとく十善を行い悪行を教え作《な》さず。皆《みな》寿千歳で欠減する者なし。死後は※[#「りっしんべん+刀」、第3水準1−84−38]利天《とうりてん》に生まれ天上で終ってこの閻浮提《えんぶだい》洲の富貴人に生まれる。北洲の人大小便すれば自ずから地下に没し、その地清潔で糞臭の処なし。人死すれば好衣もて飾り、少しも哭《な》かずに四辻に置くと鬱遮鳥が片付けて洲外に持ち去る。浄き粳米ありて耕作入らず自然に生え一切の味を出す。それを釜に盛りて焔味球という珠を下に置けば、その光で飯が熟するを四方の人来り食うに尽きず。食いやんで面色潤沢で威神あり。盗賊悪人も我妻子という事もなし。男女もし婬慾を起すも相見て語らず。女が男に随って行き園中で二、三日から七日続けて相|娯《たの》しみ、事済まば随意に別れ去って相属せず。孕む事七、八日で子を生み、四辻に置けば往来する人々指先から乳を出して飲ませる。七日立つとその子自分の福力もてこの閻浮提洲の二十また二十五歳ばかりに成長する。その世界に塵《ちり》起らず。樹ありて交わり曲り上で合う、その上に男女各処を異にして住むなどいう事で、「鶏の項」に書いた仏徒が熱望する弥勒世界も、『観弥勒菩薩|下生《げしょう》経』に、時気和適、四時順節、人身百八の患《うれい》なく、貪慾瞋恚愚痴大ならず、人心均平にして皆同一意、相見て歓悦し善言相向い、言辞一類にして差別なき事、かの鬱単越のごとしとあって、活きた人間の住むに鬱単越洲ほどよい天下なしと信じたのだ。八文字屋本《はちもんじやぼん》などに吉原遊廓を北洲と号《な》づけいるはこの訳で、最も楽しい所の意味だろう。
しかるに、『起世因本経』八には北洲が吾人の住む南洲に勝る事三つ、一には彼人我我所なし、二には寿命最も長し、三には勝上行あり、南洲が北洲に勝る事五つ、一には勇健、二には正念、三には仏出世の地たり、四にはこれ修業の地なり、五には梵行を行する地たりとあって、差し引き吾人の住む天下が、北洲に勝る事多しとした。これは出世間《しゅつせけん》の宗旨から立てた見解だが、世間法に言い替えても余りに平等ばかりの社会には、奮発とか、立志とか、同情とか、高行とかいう事がなくなり、虫介同様一汎に平凡の者ばかりとなるから、人々ことごとく『楼炭経』にいわゆる自分|天禀《てんぴん》の福力ない以上は、天変地異その他疾病を始め一切自然に打ち勝ちて、社会をも人間をも持続する見込みが立つまい。さればこそ経文にも自然の米とか、光りで飯を煮る珠とか、七日続けて交歓するの、四辻に赤子を置かば往来の人が指から乳を含ませくれるの、糞小便は大地、死人は鳥が始末してくれるのと、現世界にまるでない設備を条件として、さて北洲ごとき結構極まる社会が立ち行くと説かれた。科学の進歩無窮なれば全く望まれない事でなかろうが、近頃ようやく出で来た無線電話、飛行船、ラジウム、防腐、消毒、光線分析、エッキス光線くらいを、現代の七不思議として誇る(『ネーチュール』九十巻九一頁)ほどでは前途遼遠で、それで以て平等世界を湧出せんとする者は、護摩を以て治国を受け合い、庚申《こうしん》像を縛って駈落者《かけおちもの》の足留めしたと心得ると五十歩百歩だ。
さて前年刑死されたある人が、真正の平等社会が出来たら、利慾がなくなるから精神を有効に使う者がなくなるでないかとの問いに対し、財物を獲《う》べき利慾はなくなるが知識を進めて公益を謀る念はますます切になる故、一切平等で生活のため後顧せず、安心して発明発見を事とし得ると言ったと聞くが、いくら社会が平等になっても人々の好みと精力が平等にもならず、手品や落し咄なら知らぬ事、耕さずに熟する米や、光で飯を煮る珠、また食っても尽きぬ飯を、生活一切|頓著《とんじゃく》なければとて、碁《ご》将棊《しょうぎ》同様慰み半分に発明し発見し得るだろうか。とにかく仏徒は鬱単越洲《うったんのっしゅう》を羨《うらや》み、殊に耕さずに生ずる自然粳米ありと聞いて、それが手に入ったらこんな辛労はせずに済むと百姓どもが吐息ついたので、今も凶年に竹の実をジネンコと称えて採り食らうは自然粳《じねんこう》の義で、余り旨《うま》い物でないそうだからこの世界ではとかく辛労せねば碌な物が口に入らぬと知れる。竹実の事は白井博士の『植物妖異考』上に詳し。
さて仏の命に従い、五百の乞食上りの比丘《びく》が、北洲に往って、自然成熟の粳米を採り還って満腹賞翫したので、祇陀《ぎだ》太子大いに驚き、因縁を問うと、仏答えて、過去|久遠《くおん》無量無数不可思議|阿僧祇劫《あそうぎこう》と念の入った長い大昔、波羅奈《はらな》国に仙山ありて辟支仏《びゃくしぶつ》二千余人住む。時に火星現じた。この星現ずる時|旱《ひで》りが十二年続いて作物出来ず、国必ず破るという。散檀寧と名づくる長者方へ辟支仏千人供養を求むるに、供養した。次に残りの千人が来るとまた、供養した。それから毎度供養するに五百人をして設備し接待せしめた。年歳を積んでいやになりて来りわれら五百人この乞食どものために苦労すると怨んだ。長者|恒《つね》に供養の時至るごとに一人をして辟支仏に往き請ぜしめた。この使い一|狗子《いぬ》を畜《か》い日々伴れて行った。一日使いが忘れて往かず、狗子独り往きて高声に吠え知らせたので諸大士来って食を受け、さて長者に向い最早雨降るべし、早速種植えせよと教えた。長者すなわち作人どもに命じ一切穀類を植えしむると数時間の後ことごとく瓢《ひょう》となった。長者怪しみ問うと諸大士心配するな出精して水をやれといった。水をやり続くると瓢が皆大きくなり盛える。剖《さ》いて見ると好《よ》き麦粒が満ちいる。長者大悦して倉に納《い》れると溢《あふ》れ出す。因って親族始め誰彼に分って合国一切恩沢を蒙った。五百人の者どもこれは諸大士のおかげと知って前日の悪言を謝し、来世に聖賢に遇って解脱を得んと願うた。その因縁で五百世中常に乞食となるがその改過と誓願に由って今我に遭うて羅漢となった。その時の長者は今の我で、日々使いに立った者は今の須達《しゅだつ》長者、狗子《いぬ》は吠えて諸大士を請じたから世々音声美わしく今は美音長者と生まれおり、悪言したのを改過した五百人は今この乞食上りの五百羅漢だと説いたとある。いやいやながらも接待係りを勤めたので、今生に北洲の自然粳を採り来て美食に飽き得たというのだ。
『今昔物語』十三巻四十語に、陸奥の僧光勝は『最勝王経』、法蓮は『法花経』を持し優劣を争う余り、各一町の田を作り作物の多寡で勝劣を決せんと定め、郷人より一町ずつの田を借る。光勝自前の田に水入れその経に向い祷《いの》るに苗茂る事|夥《おびただ》し。法蓮は田を作らず水も入れねば草のみ生じて荒れ果てるから、国人『最勝』をほめ『法花』を軽しむ。七月上旬になりて法蓮の田に瓢一本生じ枝八方に指《さ》してあまねく一町に満つ、二、三日経ちて花咲き実成る。皆|壺《つぼ》ほど大きくて隙《すき》なく並び臥す、一同飛んだ物が出来たとますます『最勝』を讃《ほ》む。法蓮は変な事と一瓢を破り見れば中に粒大きく雪ほど白い精米五斗あり、他を剖いて見るに毎瓢同様なり。因って諸人に示し『法花経』に供え諸僧に食せしめ更にその一瓢を光勝に送る。光勝やむをえず『法花経』を軽しめた罪を懺悔《さんげ》す。法蓮その米を国中に施し諸人心の任《まま》に荷《にな》い去る。されど十二月まで瓢枯れず取るに随って多くなったから、皆人『法花経』の勝《すぐ》れるを知って法蓮に帰依《きえ》したと記す。芳賀博士の『攷証今昔物語』に、この譚を『日本法華験記』と『元亨釈書《げんこうしゃくしょ》』に漢文で載ったのを本語の後に付けあるが、出処も類話も出していない。全く上に引いた『賢愚因縁経』の瓢箪から駒でなくて麦を出した話から転出されたので、瓢から出た穀物を国中に施したなども両譚相似いる。さて『金光明最勝王経』と『妙法蓮華経』の名に因って光勝、法蓮てふ二僧を拵えたのだ。
『諸経要集』四七に『譬喩経』を引いていわく、長者の門に一狗ありて常に人を噛み誰も入り得ず、聡明な一比丘が往くとちょうど狗《いぬ》が外に出で臥して知らず、比丘入るを得て食を乞うと長者が食を設けた。狗われ寝た間に比丘を入れたは残念だ。彼れ長者が供えた物を一人食ったら出て来る所を噛み殺して腹中の美膳を食おう、我に食を分ったら赦《ゆる》そうと思うた。比丘犬の心を知って食を分ち与うると、狗喜んで慈心を生じ、比丘に向ってその足を舐《ねぶ》った。後《のち》また門外に臥すとかつて噛まれた人がその頭を斫《き》って殺した。それからその長者の子に生まれたが短命で死に、また他の長者の子に生まれて出家したと。仏教は因果|輪廻《りんね》を説き慈愛を貴ぶ故、狗が一時の慈心を起しても得脱の因となるというのだ。
これに異なって、回教は何事も上帝の思《おぼ》し召しのままと諦めるべく教える。したがって狗の食事についてもこんな話が『千一夜譚』にある。ある人借金に困って逐電し餓えて一城に入り、大勢町を行くに紛れ込んで王宮らしい家に到り進むと、大広間の上に小姓や宦官《かんがん》に取り囲まれた貴人あり、起って諸客に会釈した。かの貧人たちまち身のほどを顧み、恥じかつ恐れ入って人の見えぬような所に坐しいると、たちまち見る一人素絹と錦襴を被せ金の頸環、銀の鎖を付けた四疋の犬を牽き来り別室に維《つな》ぎ、去って金の皿四つに好肉を盛ったのを持ち来り、毎犬一皿を供えて出で行った。ここでバートンの註に、湿熱烈しい諸邦では、朝夕犬に衣を被《き》せぬと久しからずして痛風か腰痛で死ぬとある。貧人犬の美食を羨みいささか配分をと望んだが、吠えらるるを懼《おそ》れて躊躇する内、上帝彼を愍《あわれ》み一犬に教えたからその犬皿より退き彼を招いた。御辞儀なしに頂戴して満腹しやめかかると前脚で皿を彼に押し進めた。その金の皿を取ってその邸を出たを誰も知らず。他の城に往って売り飛ばし商品を買って故郷へ還り、それより借金を払い営業して全盛した。数年の後、その人われかの金皿の持ち主を訪いその値を償うべしとて、その代金および相応な礼物を持って彼処《かしこ》に趣き、かの邸を尋ぬればこれはしたり、旧時王謝堂前の燕、飛んで尋常百姓の家に入るで、金の皿で犬に食わせた豪家は跡方もなく、ただ烏が、崩れて列を成した古壁に鳴くばかりだった。こんな所に長居は無用と立ち帰ると、たちまち路傍に窶《やつ》れ果てた貧相な男を見付け、時移り運変ってこの邸の主公はどうなった、かの人の威容今|何処《いずこ》にありや、何でかくまで宏壮だった家が壁ばかり残すに及んだかと問うと、われこそここの主人だった者なれ、かつては金屋《きんおく》に住んで麗姫に囲まれた身も運傾けばこんな身になった。我を見るに付けても使徒が上帝この世界のある物を倒さずに他を起さずと説ける道理を明らめ省みよと言った。そこで昔かの邸で金皿を窃《ぬす》みそれより身代を持ち返した仔細を告げ、代金と礼物を納められよと勧めたが取り合わず。汝は実に狂人だ。犬がどうして人に金の皿を餽《おく》るものか、犬が人に遣った物の代金を我が受けらりょうか、いかに貧すれば鈍するとて
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