が『福富草子』の最初に「人は身に応ぜぬ果報を羨むまじき事になん侍《はべ》る」といえるによく似て居る。のみならずこの草子に、屁を放ち損じて大便を垂れたので叱り打たれて血に塗れ、帰ったとあるは、件《くだん》の経文に〈この道人、頭破れ血|瀝《したた》り、床座を沾汚《てんお》す、駆りて角《すみ》に入らしむ、急を得て糞を失す、次第七人、皆打棒せられ、地に宛転《えんてん》す〉とあるから転化したのだ。
 さて次に趣向の話しだが、今一つ同じ『雑宝蔵経』巻六に見ゆ。舎衛《しゃえ》城中に大長者あり、毎度沙門を招請して供養する。ある日|舎利弗《しゃりほつ》と摩訶羅《まから》と、その家に至るとちょうど貿易のため渡海した者が大いに珍宝を獲て無事帰宅し、国王が長者に封邑《ほうゆう》を与え、その妻また男児を生んだ。目出た目出たが三つ重なった日だった故、長者大いに喜んで、舎利弗らに飯を供し、おわって舎利弗呪願していわく、今日良時好報を得、財利楽事一切集まる。踊躍歓喜心悦楽し、信心踊発して十力を念ず、願わくば今日の後常に然らん事をと。長者これは大出来と喜んで、上妙の毛氈《もうせん》二張を舎利弗に施し、摩訶羅には何にもくれなんだ。摩訶羅寺へ帰って羨ましくってならず、舎利弗に何卒|件《くだん》の呪願の文句を教えたまえと乞う。舎利弗この文句は常に用いてはならぬ、用いてよき時と悪い時とあるといったが、ひたすら伝授を望むから教えた。その後僧どもまた長者に招かれ順番で摩訶羅が上座となった。その時長者の手代渡海して珍宝を失い、長者の妻告訴されその児も死亡した。凶事のみ聚《あつ》まった日だったのに摩訶羅は頓著《とんじゃく》せず、舎利弗通り、願わくば今後常に、然らん事をと呪願した。長者これを聴いてこんな事が毎日続けとは怪しからぬと、大いに立腹して摩訶羅を叩き出す。摩訶羅困って国王の胡麻畠に入って苗を踏み砕き畠番人に打ち懲らさる。何故我を打つかと問うに、この通り胡麻畠を踏み荒したからと言われて初めて気付き、道を教えもろうて前進し麦を刈って積んだ処へ来た。その国俗として麦藁《むぎわら》を積んだ処を右に遶《めぐ》れば飲食をくれる、来年の豊作を祈るためだ。左に遶れば凶作を招くとて不吉とする。摩訶羅不注意にも左へ遶ったので麦畑の主また忿《いか》って打ち懲らす。何故我を打つかと問うと、知れた事、麦藁塚に遇わば多く入れ多く入れと豊作を祝う詞《ことば》を述べながら右へ遶るのだ、それを何も言わずに左へ遶ったは違法だという。また道を示されて進み行くと葬式に出逢った。麦畑の主に教わったはここぞと念を入れて、多く入れ多く入れと唱えながら墓を遶った。喪主仰天して彼を捉え打っていわく、汝死人に遇わば愍《あわれ》んで今後かかる事なかれと言うべきに多く祝するは何事ぞと。心得ましたと詫《わ》びてまた行くと今度は嫁入りの行列に出逢った。只今教わった通り葬式に対して言うべき事を述べると、また怒って頭を打ち破られ、狂い走って猟師が鴈網を張ったのに触れ鴈ことごとく飛んでしまう。猟師にまた打たれて詫び入ると徐《しず》かに這って行けという。這って行く途中に洗濯屋あり、これはてっきり洗濯物を盗みに来たと思うてまた打ち懲らす。ようやく免《ゆる》されて祇園精舎《ぎおんしょうじゃ》に至り、舎利弗の呪願を羨み習うたばかりに重ね重ねの憂き目を見たと語り、仏その因縁を説くのだが余り長くなるから中止としよう。
 あり来った話を作り替えるにはなるべく痕跡を滅するのを上手とするから、大体について物羨みはせぬ事というだけが同一で大分違うて居るが、佐々木君の『江刺郡昔話』に載った灰蒔き爺の話に鴈を捉うる処あるのは、件の『雑宝蔵経』から花咲爺の話を拵え上げた痕跡と惟《おも》う。
 桃太郎の話は主として支那で鬼が桃を怖るるという信念、それから「神代巻」の弉尊が桃実を投げて醜女を却《しりぞ》けた譚などに拠る由は古人も言い、また『民俗』一年一報、柴田常恵君の説に、田中善立氏は福建にあった内、支那にも非凡の男児が桃から生まれる話あるを聞いた由でその話を出し居る。それらは別件として、ここにはただ桃太郎が鬼が島を伐つに犬を伴れ行ったという類話が南洋にもある事を述べよう。タヒチ島のヒロは塩の神で、好んで硬い石に穴を掘る。かつて禁界を標示せる樹木を引き抜いて守衛二人を殺し、巨鬼に囚われた一素女を救い、また多くの犬と勇士を率いて一船に打ち乗り、虹の神の赤帯を求めて島々を尋ね、毎夜海底の妖怪鬼魅と闘う。ある時ヒロ窟中に眠れるに乗じ闇の神来って彼を滅ぼさんとす。一犬たちまち吠えて主人を寤《さ》まし、ヒロ起きて衆敵を平らぐ。ヒロの舟と柁《かじ》、並びにかの犬化して山と石になり、その島に現存すというのだ(一八七二年ライプチヒ版ワイツおよびゲルラントの『未開民史』六巻二九〇頁
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