、怒ってその臼を割って焼きしまった。下の爺臼を取り還しに往くと灰になって居る。灰でもよいからとて笊《ざる》に盛って帰り、沼にある鴈《がん》に向って、「鴈の眼さ灰入れ」と連呼してその灰を蒔くと、たちまち鴈の眼に入ってこれを仆《たお》し、爺拾い帰って汁にして食う。そこへ上の婆またやって来て羨ましさにその灰を貰い帰った。向う風の強い晩に、爺屋の棟《むね》に上ってこれを撒《ま》くとて文句を誤り「爺々眼さ灰入れ」と連呼したので向う風が灰を吹き入れてその眼を潰《つぶ》し、爺屋根より堕つるを鴈が落ると心得、婆が大きな槌《つち》で自分の老夫を叩《たた》き殺したというのだ。
 馬琴の『※[#「覊」の「馬」に代えて「奇」、第4水準2−88−38]旅漫録』上に、名古屋で見た絵巻物を列した内に「『福富《ふくとみ》の草子《そうし》』云々、京にありし日同じ双紙の写しを見たり、橋本氏の所蔵なり(追書に橋本経亮の所蔵を見たり、そを写させしが京伝《きょうでん》子懇望により贈り与えたり)、今児童の夜話に花咲爺というものよくこの福富長者の事に似たり、これより出たる話にや」と記す。『福富草子』は足利氏の世に成ったもので、『新編|御伽草子《おとぎぞうし》』の発端に出おり今は珍しからぬ物だが、京伝、馬琴の時には流布《るふ》少なかったと見える。これは福富の織部《おりべ》なる者面白く屁《へ》をひる事に長じ、貴人面前にその芸を演じ賞賜多くて長者となる。隣人藤太これを羨み、長者より薬を貰い、今出川中将夫妻らに謁して芸を演じ損じ不浄を瀉《しゃ》し、随身に打たれ血に塗れて敗亡した始末を述べたものだ。この話の根本らしいのが仏経にある。
『雑宝蔵経』八にいわく、昔波羅奈国の梵誉王、常に夜半に塚間に咄王咄王と喚《よ》ぶを聞く、よく聞くと一夜に三度ずつ喚ばわる事やまず。王懼れて諸梵志・太史・相師を集めこの事を諮《はから》う。諸人これは必常妖物の所為と見えるから、胆勇ある者を遣わして看《み》せたらよかろうと申す。王すなわち五百金銭を懸賞してその人を募るに、独身暮しで大貧乏ながら大胆力の者ありて募りに応じ、甲冑を著《ちゃく》し刀杖を執って夜塚間に至ると、果して王を喚ぶ声す。汝は何者ぞと叱ると、我は伏蔵だと答えた。伏蔵とは「田原藤太竜宮入りの譚」に書いた通り、インド等には莫大の財宝を地下に埋めあり、今もそれを掘り当てる事を専門にする者が多く、それを言い中《あて》るを業とする術士も少なからぬ。さて伏蔵、募人に語るは、汝は剛の者でわれを怖れぬ。我れ毎夜かの王を喚ぶ。王我に答えたら我れ王の庫中に入れてやるべきに、かの王臆病者でかつて答えぬから仕方がない。我がほかに眷属が七つある。明朝伴って汝の家に行こうと、募人それはありがたいが明朝どうして汝らを迎うべきかと問うと、伏蔵答えて、汝ただ家内を掃除し糞穢を除き去り、香花《こうげ》を飾って極めて清浄ならしめ、葡萄、甜漿《てんしょう》、酥乳《そにゅう》の粥《かゆ》を各八器に盛って俟《ま》て、然《しか》る時八道人ありて汝が供物を食うはず、さて飲食《おんじき》しおわったら、汝杖を以て上座した者の頭を打ち隅《すみ》に入れと言え、次の者どももことごとく駆って隅に入れよと、募人心得て家に帰り王より五百金銭を受けて馳走を用意に及ぶ。王かの夜喚ぶ者は何物ぞと問うに、募人|詐《いつわ》ってあれは化物でござったと申す。それより理髪師を招き身じまいをした。翌朝馳走を備えた所へ果して八道人来り、飲食しおわるを俟ってまず上座の頭を打ち隅へ駆り入れると、たちまち変じて金銭一|※[#「央/皿」、第3水準1−88−73]《おう》と成った。跡の奴原《やつばら》も次第に駆り入れて金銭八※[#「央/皿」、第3水準1−88−73]が出来た。時に理髪師門の孔からこの体《てい》たらくを覗《のぞ》きおり、道人の頭さえ打たば金に成ると早合点して、他日自ら馳走を用意し心当りの道人八人を招待して飲食せしめ、すでにおわって門戸を閉じ、いきなり上座の道人の頭を打つと、これはただの人間だから血出て席を汚し、余りに隅へ駆り入るるの急なるより糞を垂れた。七人までかくのごとく打ち倒されたが八番目の道人力強くて戸外に突き出で、この主人は我らを殺さんとすと大いに叫んだ。国王人を遣わし理髪師を捉えて委細を聞き、更に人を遣わして募人の家を検するに金銭夥しく持ち居る。王その銭を奪うと銭が毒蛇また火の玉と成ったので、これはわれが取るべきでないと言って募人に返したと。この話の発端におよそ一切の法、求むべき処においては方便を以て得べし、もし求むべからずんば、強いて得んと欲すといえども、すべて獲《う》べからず、譬《たと》えば沙を圧して油を覓《もと》め、水を鑽《き》って酥を求むるがごとく、既に得べからずいたずらに自ら労苦すとある。その言い様
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