と骨ばかり享《う》け、時としては何一つ食わず、それに猫は常に飽食して竈辺《かまどべ》に安居するは不公平ならずやと怒る。猫は約束だとて受け付けず、犬その約束を見たいというから、委細承知と屋根裏に登ると、原来かの誓書に少し脂《あぶら》が付きいたので、※[#「鼬」の「由」に代えて「奚」、第4水準2−94−69]が食い込んで巣を構えいた。猫大いに驚き※[#「鼬」の「由」に代えて「奚」、第4水準2−94−69]を殺し食ったが、犬は猫が誓書を示さぬを怒り、これを咬《か》んで振り舞わした。爾来犬猫を見れば必ず誓書の紛失を咎《とが》め、猫また※[#「鼬」の「由」に代えて「奚」、第4水準2−94−69]を追究すると。
古川重房の『筑紫紀行』十に、丹後の九世渡の犬の堂、これは戒岩寺と智恩寺と両寺して犬一つ飼いけるが、両寺一度に鐘を鳴らすを聞いて、何方《いずかた》にか行かんと行きつ戻りつして労《つか》れ死にせしを埋めたる跡なりとて、林道春《はやしどうしゅん》の文を雕《ほ》りたる石碑立てりとある。桑門|虚舟《きょしゅう》子の『新|沙石集《しゃせきしゅう》』四に、『経律異相』から『譬喩経』を引いて、「人あり、老いたる妻に聞きて白髪を残し黒きを抜き、また若き妻に聞きて白髪を抜き白粉《おしろい》を面に塗り青黛《せいたい》を眉《まゆ》に描く、小婦も老婦もこれを醜しとし追い出す、農して自活せんと思いしに、雨ふれば峰に登り日照れば谷に下りていたずらに暮しぬれば、畜生の報いを受けて犬となるに習因残れり、一の大河を隔てて東西に人里ある所に生まれて、朝の烟《けむり》東の里に立つ時は東に廻り到る、烟は立てども食いまだ出来ざる間、また西の里に烟立つを、いずれはさりともと思うてまた河を廻りて西に着くほどに、河の中にて力|竭《つ》きて空しく流れ失《う》せぬ、心多き物は今生後生ともに叶わぬなり」と記せるを見るに、もと心の一定せぬ物は思い惑うて心身を労《つか》らし、何一つ成らぬという喩《たと》えに作られた仏説なるを、道春不案内で、実際そんな事蹟があったと信受して碑文を書いたのだ。
犬に宗教の信念あった咄《はなし》諸国に多い。『隋書』に文帝の時、四月八日魏州に舎利塔を立つ。一黒狗|耽耳《たんじ》白胸なるあり、塔前において左股を舒《の》べ右脚を屈し、人の行道するを見ればすなわち起ちて行道し、人の持斎するを見ればまたすな
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