に代えて「田の真ん中の横棒が横につきぬけたもの」、第3水準1−85−1]《よこど》り去らる。家中の一白犬すこぶるよく馴《な》る。妻これに向って我聞く、犬の白きは前世人たりしと、汝|能《よ》く我を送り帰さんかと、犬|俯仰《ふぎょう》して命を聴くごとし、すなわち糧を包みこれに随う。警あればすなわち引きて草間に伏し、渇すればすなわち身を濡《ぬ》らして返り飲ましむ。およそ六、七日で賊境を出で、その夫|恙《つつが》なきに会う。朝廷崇信県君に封ずとあるは犬が封号を得たらしい。また唐の貞元中大理評事韓生の駿馬が、毎日|櫪中《れきちゅう》で汗かき喘《あえ》ぐ事遠方へ行きて疲れ極まるごとき故、圉卒《ぎょそつ》が怪しんで廐舎に臥し窺うと、韓生が飼った黒犬が来って吼《ほ》え躍り、俄に衣冠甚だ黒い大男に化け、その馬に乗って高い垣を躍り越えて去った。次いで還り来って廐に入り、鞍《くら》を解いてまた吼え躍るとたちまち犬になった。圉人驚異したが敢えて洩《も》らさず、その後また事あったので、雨後のこと故圉人が馬の足跡をつけ行くと、南方十余里の一古墓の前まで足跡あり。因って茅《かや》の小屋を結び帰り、夕方にその内に入りて伺うと黒衣の人果して来り、馬を樹に繋《つな》ぎ墓内に入り、数輩と面白く笑談した。暫くして黒衣の人を褐衣《かつい》の人が送り出で、汝の主家の名簿はと問うと、絹を擣《つ》く石の下に置いたから安心せよという。褐衣の人軽々しく洩らすなかれ、洩れたらわれら全からじといい、また韓氏の穉童《ちどう》は名ありやと問うと、いまだ名付かぬ、付いたら名簿へ編入しようという、褐衣の人、汝、明晩また来り笑語すべしといって去った。圉人帰って韓生に告ぐると、韓生肉を以てその犬を誘い寄せ縄で括り、絹を擣《う》つ石の下を捜るに果してその家妻子以下の名簿一軸あり、生まれて一月にしかならぬ子の名はなし、韓生驚いて犬を鞭《むちう》ち殺し、その肉を煮て家僮《かどう》に食わせ、近所の者千余人に弓矢を帯びしめ古墓を発《あば》くと、毛色皆異なる犬数疋出たので殺し尽して帰ったとある。ハンガリー人も黒犬に斑犬を魔形とし、白犬は吉祥で発狂せぬと信ずる(グベルナチスの『動物譚原』二の三三頁注)。
『日本紀』七に、日本武尊信濃の山中で山神の化けた白鹿に苦しめられたが、蒜《ひる》を以てこれを殺し、道を失うて困《くる》しむ時白犬に導かれて美濃に
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