《あざみ》や荊《いばら》の粗食に安んずべく、寿命は五十歳と宣う。驢これを聞いて跪《ひざまず》いて愁い申したに、慈悲無辺の上帝よ、某《それがし》そんな辛い目をして五十年も長らえるはいかにも情けない。どうか特別の御情けで二十年だけ差し引いていただきたいと、その時強慾の人間差し出て、さほど好まぬ驢の二十年を某へ融通されたいと望みの通り二十年加えて、人の命を五十歳と修正された。
次に上帝犬を呼び、汝は汝の主たる人間の家と財産を守り、ひたすらこれを失わぬよう努力せにゃならぬ、すなわち月の影を見ても必ず吠《ほ》えよ、骨折り賃として硬い骨を噛《かじ》り麁末《そまつ》な肉を啖《くら》うべく、寿命は四十歳と聞いて犬震い上り、そんなに骨折って骨ばかり食えとは難儀極まる。格外の御慈悲に寿命を二十歳で御勘弁をと言うもおわらぬに人間また進み出で、さほどに犬の気が進まぬ二十年を私に下されいと乞うたので、また二十年を加えて人命七十歳となった。最後に上帝、猴《さる》を呼び出し、汝は姿のみ人に似て実は人にあらず、馬鹿で小児めいた物たるべく、汝の背は曲り、毎《つね》に小児に嘲弄され痴人の笑い草たるべく、寿命は六十歳と宣うを聞いて猴弱り入り、これは根っからありがたからぬ、半分減じて三十歳に御改正をと聞いて人間またしゃしゃり出で、猴の三十歳を貰《もら》い受けて人寿百歳と定まった。
かくて人間は万物の長として、最初上帝が賜わった三十年の間は何一つ苦労なしに面白く暮し遊ぶが、三十過ぎてより五十まではもと驢から譲り受けた年齢故、食少なく事煩わしく、未来の備えに蓄《たくわ》うる事にのみ苦労する。さて五十より七十まで、常に家にありてわずかに貯えた物を護るに戦々|兢々《きょうきょう》の断間《たえま》なく、些《いささか》の影をも怖れ人を見れば泥棒と心得吠え立つるも、もとこの二十年は犬から譲り受けたのだから当然の辛労である。さて人が七十以上生き延ぶる時は、その背《せ》傴《かが》み、その面変り、その心曇り、小児めきて児女に笑われ、痴人に嘲らる。これもと猴から受けた三十年だからだと。
猫と犬の仲悪き訳を解いたエストニアの伝説はこうだ。以前すべての動物至って仲よく暮したが、その後《のち》犬が野で兎などを殺して食ったので、諸獣の訴えにより上帝犬を糺《ただ》すと、他に食うべき物がなければやむをえぬと答えた。もっともの次第とあ
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