めて自宅へ引き取った。爾後、恒例となって諸人妻を迎うるごとに大将に手折《たお》らせたとあるが、これは事の起源を説かんためかかる噺をこじ付けたので、拙文「千人切りの話」に論じた通り、一八八一年フライブルヒ・イム・ブライスガウ板、カール・シュミット著『初婚夜権』等を参するに、インド、クルジスタン、アンダマン島、カンボジヤ、チャンパ、マラッカ、マリヤナ島、アフリカおよび南北米のある部に、もとよりかかる風習があったので、インドで西暦紀元頃ヴァチヤ梵士作『愛天経』七篇二章は全く王者が臣民の妻娘を懐柔する方法を説く。その末段にいわく、アンドラの王は臣民の新婦を最初に賞翫《しょうがん》する権利あり。ヴァツアグルマ民の俗、大臣の妻、夜間、王に奉仕す。ヴァイダルブハ民は王に忠誠を表せんとて一月間その子婦を王の閨房に納《い》る。スラシュトラ民の妻は王の御意に随い、独りまた伴うてその内宮に詣《いた》るを常とすと。欧州には古ローマの諸帝、わが国の師直《もろなお》、秀吉と同じく(『塵塚物語』五、『常山紀談』細川|忠興《ただおき》妻義死の条、山路愛山の『後編豊太閤』二九一頁参照)、毎度臣下の妻を招きてこれを濫した
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