和すれば二十三となるからという(『一話一言』八)。この格で五と六と七を合すと十八すなわち三と六の乗積ゆえ、弥勒の無差別世界を暗示せんため、弥勒の代りに十八、そのまた代りに五六七と書いたものでなかろうか。
さて前に書いた通り、鶏足を号とした寺は東北に多く、また、奥羽地方に荷渡《にわた》り権現《ごんげん》多く、また鶏足《にわたり》権現、鶏足明神と漢字を宛て、また、鶏鳥権現と書きある由(『郷土研究』二巻八号、尾芝氏説)、しかるに『真本細々要記』貞治《じょうじ》五年七月の条に、伏見鶏足寺見ゆれば畿内にもあったのだ。蔵王権現は弥勒の化身と『義楚六帖』にいえば、これを尊拝する山伏輩がもっとも平等世界や鶏足崇拝を説き廻っただろう。
河内の道明寺中興住持の尼、覚寿《かくじゅ》は菅丞相《かんしょうじょう》の伯母で、菅神左遷の時、当寺に行き終夜別れを惜しむ。暁に向い鶏啼きて喧《かまびす》し。菅神そこで吟じたもう和歌に「鳴けばこそ別れを急げ鳥のねの、聞えぬ里の暁もがな」(『和漢三才図会』七五)、これよりこの土師《はじ》の里に鶏鳴かず、羽敲《はばた》きもせぬ由、『菅原伝授鑑《すがわらでんじゅかがみ》』に出
前へ
次へ
全150ページ中78ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング