の佳節に当れるを幸い、その鶏を闘わす事に定めたが、公に知れてはチョイと来いと拘引は知れたこと故、鶏を主人の住所で呼び、当日正真の十二時に、ビークン山とビーチェン崖が打ち合うべしと定め、闘鶏家連に通知すると、いずれもその旨を心得、鶏という事を少しも洩らさず件《くだん》の山と崖とが打ち合うとのみ触れ廻したのを、局外の徒が洩れ聞いて、尾に羽を添えて、真に山と崖が打ち合い、市は丸潰れとなるべき予言と変わったのだ。ただし、当日定めの二鶏は、群集環視の間に闘いを演じたとあるが、勝負の委細は記さない。
鶏に名を付くる事諸国にありて、晋の祝鶏翁は洛陽の人、山東の尸郷北山下におり、鶏を養うて千余頭に至る。皆名字あり、名を呼べばすなわち種別して至る。後《のち》呉山に之《ゆ》き終る所を知るなしとある(『大清一統志』一二四)。バートンの『東|阿非利加《アフリカ》初入記』五章にエーサ人の牛畜各名あり。斑《ぶち》、麦の粉などいう。その名を呼ぶに随い、乳搾られに来るとあれば、鶏にもそれほどの事は行われそうだ。『古今著聞集』承安二年五月二日東山仙洞で鶏合せされし記事に、無名丸、千与丸などいう鶏の名あり、その頃は美童
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