月十九日分に出た、いわく、百五十年ほど前、一尼僧この地に来り、松葉屋に泊り出立せしを、松葉屋と中屋の二主人が途中で殺し、その金を奪うた報いで両家断絶し、今にその趾《あと》あり云々。これを誤報附会したのでないかと。この竜神氏、当主は余の旧知で、伊達千広(陸奥宗光伯の父)の『竜神出湯日記』に、竜神一族は源三位頼政《みなもとのさんみよりまさ》の五男、和泉守頼氏《いずみのかみよりうじ》この山中に落ち来てこの奥なる殿垣内《とのがいと》に隠れ住めり、殿といえるもその故なり。末孫、今に竜神を氏とし、名に政の字を付くと語るに、その古えさえ忍ばれて「桜花本の根ざしを尋ねずば、たゞ深山木《みやまぎ》とみてや過ぎなむ」とあるほどの旧《ふる》い豪家故、比丘尼を殺し金を奪うはずなく全くの誤報らしいが、また一方にはその土地の一、二人がした悪事が年所を経ても磨滅せず、その土地|一汎《いっぱん》の悪名となり、気の弱い者の脳底に潜在し、時に発作して、他人がした事を自家の先祖がしたごとく附会して、狂語を放つ例も変態心理学の書にしばしば見受ける。
金製の鶏でなく正物の鶏を宝とした例もある。元魏の朝に漢訳された『付法蔵因縁
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