ず。昔熊野詣りの比丘尼《びくに》一人ここへ来て宿る。金多く持てるを主人が見て悪党を催し、鶏が止まる竹に湯を通し、夜中に鳴かせて、最早《もはや》暁近いと欺き、尼を出立させ、途中に待ち伏せて殺し、その金を奪うた。その時、尼|怨《うら》んで永劫《えいごう》ここの男が妻に先立って若死するようと詛《のろ》うて絶命した。そこを比丘尼|剥《はぎ》という。その後果して竜神の家|毎《つね》に夫は早世し、後家世帯が通例となる。その尼のために小祠を立て、斎《いわ》い込んだが毎度火災ありて祟《たた》りやまずと。尼がかく詛うたは、宿主の悪謀を、その妻が諫《いさ》めたというような事があった故であろう。かつて東牟婁郡高池町の素封家、佐藤長右衛門氏を訪《たず》ねた時、船を用意して古座川を上り、有名な一枚岩を見せられた。十二月の厳寒に、多くの人が鳶口《とびぐち》で筏《いかだ》を引いて水中を歩く辛苦を傷《いた》み尋ねると、この働き、烈しく身に障《さわ》り、真砂という地の男子ことごとく五十以下で死するが常だが、故郷離れがたくて、皆々かく渡世すと答えた。竜神に男子の早世多きも何かその理由あり。決して比丘尼の詛いに由らぬはもち
前へ
次へ
全150ページ中61ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング