得一つで危険思想も生ずれば、どんな異常な考えを述べた者も穏やかにこれを味わえば人心を和らげ文化を進めるに大益ありと判る。ただし『仏説観弥勒菩薩|下生経《げしょうきょう》』に、この閻浮提洲《えんぶだいしゅう》、弥勒の世となって、危険な物や穢《きたな》い物ことごとく消え失せ、人心均平、言辞一類となり、地は自然に香米を生じ、衣食一切の患苦なしとあるに、無数の宝を蔵《おさ》めた四大倉庫自然に現出すると、守蔵人、王に白《もう》す。ただ願わくば大王この宝蔵の物を以てことごとく貧窮に施せと、爾時《そのとき》大王この宝を得《え》已《おわ》ってまた省録せず、ついに財物の想なしと言えるは辻褄が合わず、どんな暮しやすい世になっても、否暮しやすければやすいほど貧乏人は絶えぬ物と見える。さて、弥勒世尊無量の人と耆闍崛山《ぎしゃくつせん》頂に登り、手ずから山峯を擘《つんざ》く。その時梵王天の香油を以て大迦葉尊者の身に灌《そそ》ぎ、大※[#「特のへん+廴+聿」、第3水準1−87−71]稚《だいかんち》を鳴らし大法螺《おおぼら》を吹く音を聞いて、大迦葉すなわち滅尽定《めつじんじょう》より覚《さ》め、衣服を斉整して長跪
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