来たのだ。さて彼女が夫を伴《つ》れ去らんとするに臨み、侯呼び還して、今後また汝の夫が干戈《かんか》を執ってわが軍に向わばどう処分すべきやと尋ねると、女大いにせき込んで「眼も鼻も手足もわが夫の物なれば罪相応に取り去られよ、夫の身にありながら妾の専有たる大事の物は必ず残してくだされ」と、少しの笑顔も悪《にく》からず、あぶないぞえと手を採って導き帰るぞ哀れなるとある。
昔趙人|藺相如《りんしょうじょ》が手に鶏を縛るの力なくして、秦廷に強勢の昭王をやりこめ天下に二つとない和氏《かし》連城の玉を全うして還ったは、大枚の国費で若い女や料理人まで伴れ行き猫の欠《あくび》ほどの発言も為《な》し得なんだ人物と霄壌《しょうじょう》だが、このギリシア婦人が揚威せる敵軍に直入して二つしかないその夫の大事の玉を助命して帰ったは、勇気貞操兼ね備わり、真に見揚げたとまで言い掛けたが、女を見揚ぐるはどこぞに野心あるからと仏が戒めたから中止として、谷本博士が言われた通り、婦女に喉を切る嗜《たしな》みなどを仕込むよりは、睾丸の命乞いは別として、勇胆弁才能く敵将を説伏するほどの心掛けを持たせたい事である。
俗に陰嚢の垂
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