作り物等に鼓上に鶏あるを出す、諫鼓苔深くして鳥驚かずの意より出《い》づと、云々、此方《こなた》の上世は専ら唐制を移されたれば、恐らくは金鶏の作り物にやあるべき」とありて、封演の『聞見記』を引き、唐朝大赦ある時、闕下《けっか》に黄金の首ある鶏を高橦《こうとう》の下に立て、宮城門の左に鼓を置き、囚徒至るを見てこれを打ち、赦を宣《のたま》えおわりて金鶏を除く、この事魏晋|已前《いぜん》聞えず、後魏または呂光より始まるという。北斉赦あるごとに金鶏を閭門に立てる事三日でやむ。万人競うて金鶏柱下の土を少しく取り佩《お》ぶれば、日々利ありというに数日間ついに坑を成した。星占書に天鶏星動けば必ず赦ありと見えるからの事だと述べ、また万歳元年|嵩山《すうざん》に封じた時、大※[#「木+解」、第3水準1−86−22]樹杪に金鶏を置いた由を記す。しかし支那に諫鼓また屈鼓が実在した証は外国人の紀行に存す。例せば一六七六年マドリッド板、ナヴァレッテの『支那帝国誌』一二頁にいわく、すべて支那の裁判所はその高下に随って大小の太鼓を備え、訟あるごとにこれを打つ、南京《ナンキン》の法庁にある者、殊に大きく象皮一枚を張り、
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