迫するようだ。そのごとく槌は初め鬼の怖るるところだったが、後には鬼かえって槌を以て人を打ち困らせたと見ゆ。『抱朴子』の至理の巻に、呉の賀将軍、山賊を討つ、賊中、禁術《きんじゅつ》の名人あって、官軍の刀剣抜けず、弓弩《きゅうど》皆還って自ら射る。賀将軍考えたは、金に刃あり、更に毒あるは禁ずべきも、刃も毒もなき物は禁術が利かぬと聞く。彼能くわが兵刃を禁ずれど必ず刃なき物を禁じ能わぬべしと、すなわち多く勁《つよ》い木の白棒を作り、精卒五千を選んで先発せしめ、万を以て計る多勢の賊を打ち殺したが、禁術は一向利かなんだとある。『書紀』七や『豊後国風土記』には景行帝|熊襲《くまそ》親征の時、五人の土蜘蛛《つちぐも》拒み参らせた。すなわち群臣に海石榴(ツバキ)の椎《つち》を作らせ、石窟を襲うてその党を誅し尽くした。爾後その椎を作った処を海石榴市《つばいち》というと記す。山茶《つばき》の木は粘き故当り烈しく、油を搾る長杵《ながきね》にするに折れず。犬殺しの棒は先を少し太くし、必ずこの木を用ゆ。雕工《ちょうこう》に聞くに山茶と枇杷《びわ》の木の槌で身を打てば、内腫を起し一生煩う誠に毒木だと。こんな訳で山茶
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