+偃のつくり」、第4水準2−87−63]蜒《えんてい》と名づく。器を以て養うに朱砂を以てすれば体ことごとく赤し、食うところ七斤に満ちて、始め擣《つ》くこと万|杵《しょ》にして女の支体に点ずれば、終年滅せず、ただ房室の事あればすなわち滅す(宮女を守る)。故に守宮と号す。伝えいう東方朔、漢の武帝に語り、これを試むるに験あり(『博物志』四)といえるは、蚤《はや》く守宮の名あるについて、かかる解釈を捏造《ねつぞう》したのだ。
『夫木抄』に「ぬぐ沓《くつ》の重なる上に重なるはゐもりの印しかひやなからん」。『俊頼口伝集』下に「忘るなよ田長《たおさ》に付きし虫の色ののきなば人の如何《いかに》答へん」「ぬぐ沓の重なる事の重なれば井守の印し今はあらじな」「のかぬとも我塗り替へん唐土《もろこし》の井守も守る限りこそあれ」中略、脱ぐ沓の重なると読めるは女の密《ひそ》かに男の辺《ほと》りに寄る時ははきたる沓を脱げば、自ずから重なりて脱ぎ置かるるなりというた。この最後の歌はかつて(別項「蛇の話」の初項)論じた婬婦の体に、驢や、羊や、馬や、蓮花を画き置きしを、姦夫が幹事後描き替えた笑談と同意だ。右の歌どもはヤモリ
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